奥の細道を求めての新着ブログ記事
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忘れていたけど、もう一つ重要な場所があった。霊鷲山だ。 意味は禿鷲の山。頂上に禿鷲に似た大きな岩がある。平地からの高さは200mくらいだろう。マガダ国の王様も礼拝しに来たので広い道もある。ここでお釈迦様は多くの経典を説いたと伝えられているのだけど、説法座は写真からも判るように決して広くない。2,3... 続きをみる
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クシナガラを出て、三蔵法師も修行したナーランダの仏教大学に来た。遺跡しか残っていないけど、その広大なのは想像以上だった。門の近くには崩れかけた高い仏塔があり、危険なので警官が誰も入らないように入り口で警備している。賄賂を渡して中に入ると、私がインドで見た中で最も荘厳な仏教遺跡だった。今にも崩れそう... 続きをみる
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入滅の地であるクシナガラに着いた。お釈迦様が入滅されたのは80歳の時で、おそらく故郷への旅の途中だったのだろうと言われている。救えなかったシャカ族を弔うために最後の旅をしたのだろう。二本の沙羅の木の下で、右脇を下にして入滅された。 死因は下痢による脱水だった。その少し前に信者に饗応された何かしら(... 続きをみる
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ダラムサラはまだ寒い日もあるけど、3月5日から新学期が始まった。 このお坊様はニンマ派の方らしい。一方英語の通訳の方はゲルク派だ。テキストもニンマ派のものなので通訳の方はあまりスムーズには進まない。その辺もニンマ派とゲルク派の違いが判るようでおもしろい。 この先生は去年チベット語文法を教えてもらっ... 続きをみる
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この頃には一ヵ月くらい経っていたので、インドの交通事情も分かってきた。インドの民間の交通規則は単純で、ぶつかった時に勝つ方が優先だ。痛い思いをしたく無ければ、そう思った方が道を譲る。なのでインドには歩行者優先などという概念はない。チャリで移動している時も、霧の深い朝に舗装されている部分を走っていた... 続きをみる
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ヴァラナシは言わずと知れたインド最大の聖地だ。私は燃えている人の死体の間を歩いて渡り、泊まるところを探した。その近くのそこそこ清潔でそこそこ安い。焼き場に近いので毎日見に行くこともできて、人が燃える時にはプツプツ油が跳ねることを知った。金のない人を焼く時には生焼けのままガンガーに燃え残りの薪と一緒... 続きをみる
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最初私はブッダガヤーから 歩いて仏跡を巡る旅を計画したのだけど、日本人にその計画を相談すると全員が「それはあまりに危険なので止めた方が良い」と言われた。でもインド人に話すと「何の問題もないよ。俺の親父は行商でその辺を毎日歩いていたんだから」と言う。どちらが正解なのかは実際に試してみないと判らない。... 続きをみる
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私が初めてインドに来たのは15年くらい前の52歳頃だったと思う。最初の海外旅行でインドを選ぶ人は少ないだろう。しかも仕事が急に空いたので何の下調べもしないで来てしまった。ヒンディーはまったくできず英語もカタコトだ。後でガイドブックを読んだら、インドでこれだけは絶対にしてはいけない、ということを全部... 続きをみる
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量子力学と仏教哲学との親近性について考えてみたい。 シュレーディンガー は量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式を23歳の若さで完成させた天才だ。でも自分で作った方程式を解いたら、その結果は常識とはかけ離れたものになってしまった。でも方程式に間違いがないことは確認済みなので、その結果を... 続きをみる
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12月14日にダラムサラのライブラリーでの一年の授業が終わった。 この写真はチベット語クラスの終了記念写真で、中央のグレーのダウンコートを着た女性が先生だ。とても熱心で教え方も上手く、質問すればこちらが納得できるまで丁寧に教えてくれた。なので来年は同じ先生のワンランク上の授業を受けてみたいと思って... 続きをみる
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先日お爺さんが山の中で熊 に襲われた、というニュースを授業のグループメールで知った。そう言えば以前チベット人から夜中に道をバイクで走っていたら目の前に豹 が出て来た、という話しも聞いたことがある。その時はこんな町中に豹が出るなんて本当なのだろうか、と疑ったのだけど他の人にも確認したら本当に出るらし... 続きをみる
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少し以外だったのだけど、ダラムサラでも鯖缶を売っている。 左から水煮、真ん中がオイル漬け、右がトマト煮。インドには魚カレーもあるのでもしかしたらインド人も鯖缶カレーを作っているのかもしれない。でも多くはないだろうから売っているのは外国人が多く来る上の町のマクロードガンジだ。少し高くて一缶230円く... 続きをみる
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パーリ語で書かれた上座部仏教の経典はおそらく、お釈迦様の教えを確認するために集まった弟子たちによる初回の結集の後にまとめられたものだろう。なのでそこには原始仏教の面影が色濃く残っている。その結集ではアーナンダが記憶を元にお釈迦様の言葉を再現し、全員がそれに同意した。二回目の結集はそれから百年後に行... 続きをみる
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勝義諦と空が同一なのと同じく、世俗諦と縁起は同一である、と私は考えている。 大乗仏教の二つの大きな柱が空と縁起であり、その価値の間に優劣の差はない、ということに異論がある人はいないだろう。そして勝義諦の内容が空であることも一般に認められている。でも世俗諦と縁起が同一であることはそうではないらしい。... 続きをみる
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チベット語には、基本的には主格と目的格を表示する格助詞がない。なので日本人の初学者が先ず躓くのがここだ。名詞だけが格助詞なしにするとその関係が分からなくなってしまう。でもチベット語は日本語と同じでそれを会話の文脈の流れの中で判断するから、文脈を無視して一文だけを任意に切り出してしまうと訳の分からな... 続きをみる
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仏教の始まりは2500年前にインドのルンビニー(現在の政治区分ではネパール)でお釈迦様が生まれ、35歳で覚りを開き80歳で亡くなるまでの45年間にガンジス河沿いの北インド各地で説いた教えを基にしている。お釈迦様は自身の言行を記録してないけど、説法に常に随行していたアーナンダ(お釈迦様と仲の良い若い... 続きをみる
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私を見上げる猫の目が 十三番目の月になって 日の当たる雲に浮かぶ 今日は7月30日だけど、チベットは太陰暦を使っているから今日は六番目の月の十三日だ。この猫は今日初めて私の部屋に来た。人に馴れてるからおそらくどこかの飼い猫なのだろう。 私は月と猫に近いものを感じる。どちらも夜が似合う。
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夜8時頃サンジャナがお母さんと一緒に私の部屋を訪れた。何かしら必要なものがあるらしい。その少し前にタマネギをみじん切りにするためのチョッパーを貸していたから何か料理に関係するものだろう、という予測はつくけどヒンディー語なのでそれが何かは分からない。マサラという単語は聞き取れたので何かしらの香辛料が... 続きをみる
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先日アヤさんからマハーカーラのタンカを買ったばかりだというのに、また新しいタンカを買ってしまった。アルチのグリーンターラーだ。 この絵はセキさんという日本人画家がダラムサラに来た時に手に入れたものでとてもいい。アルチというのはインド北部の山間地の地名で、その付近のチベットのお寺の壁画の様式の名前に... 続きをみる
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サンジャナに使っていない料理油を上げたらそのお礼としてサンジャナのお母さんのお茶会に招待された。 真ん中がサンジャナで左がお父さん、右がお兄ちゃんのクリシュだ。 そしてチャイを作ってくれたお母さん。私もチャイを作るけどここまで美味しく作ることができない。香辛料の使い方が違うのだろうね、やはり本場の... 続きをみる
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乱数表は主にコンピュータ科学で利用される数学的道具の一つだけど、これを完璧に生成できるアルゴリズム(方法)は存在しない。 乱数表なんて勝手に数字を並べれば良いだけなんだから、最も簡単に作れるんじゃないかと思うかもしれないけど、乱数表には人の意思も何らかの物理法則も数学も時間も介在させてはいけない、... 続きをみる
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「お前にはもう二度と安らかな眠りは訪れない」というのは魔女のマクベスに対する宣告だったと思うけど、このことばが私の聞いた中で一番恐いものだった。幸い私はマクベスのような野望は持っていないので、魔女の誘惑に惑はされることなく毎日安らかな眠りを眠っているけど、それへの不安は今でも消えてはいない。 私は... 続きをみる
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最近アパートの同じ階のこの子がよく部屋に遊びに来る。サンジャナという名で12歳(私は最初9歳くらいだろうと思っていたのだけど)だ。 お兄ちゃんの方はクリシュという名で14歳くらいだろうか。二人とも近くの同じ学校に通っている。私の部屋に来る時は大抵お菓子やお小遣いをねだりに来るのだけど、サンジャナの... 続きをみる
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最初に、まず英語では主語は動作を行う主体のことであり動詞は主体のあり方の確定のことで最低限の文章は S+V で構成されるけど、日本語やチベット語では必ずしもそうとは限らない。三上章という日本語文法学者の本 を読んで私が考えたことを以下に述べたい。 英語の文章では主語と動詞が不可欠だけど、日本語やチ... 続きをみる
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輪廻とは何か、何が輪廻するのだろうか。 輪廻の核となるような「私」という実在はない、ということは龍樹(ナーガルジュナ)以降の大乗仏教の歴史の中で揺らいだことがない確信だ。ではそのよう核が無いなら、一体何が輪廻するのだろうか。 私はここで唯識思想を検証したい。主に無着(アサンガ)で 唯識といえば世親... 続きをみる
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あけましておめでとうございます 先日2時間歩いて近くの小さなタンカミュージアムに行って来たのだけど この女性はそこを案内してくれた人でマンツーマンで一枚づつ解説してもらえた とても知的で説明も上手い この二人の兄妹はアパートの同じ階に住んでいて 妹ちゃんの方は以前にも紹介したね(昨日この子が体温計... 続きをみる
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雨季が終り 短い秋の始まりは美しい 昨夜降った雨が遠くヒマラヤの初雪になり 夜気が冷たい 近くの山の端に陽が射して 下の町を照らし 日々の生活が始まる 朝顔が輝き 真上から草々に降り注ぐ 雲が湧き上がり 十三日の月が昇ると 家々の窓に火が灯り 霧は深くなり 秋の雲間に月が照る
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ニカラグア手話、あるいは言語とはどういうものなのかについての考察
言語学に興味がある人なら知っていると思うけど、ニカラグア手話の発生と発展の歴史の記述は言語学においての一大トピックだった。 私自身誤解していたので先ずことわっておきたいのだけど、手話は世界共通の言語ではない。国の数だけの手話の種類があり、しかも各国で方言まであるらしい。つまり手話も自然発生言語の一... 続きをみる
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世界がほどけていく ライブラリーの前期の授業の終了式が終わり 階段を降りようとしたところで 歩けなくなってしまった 頭を垂れて坐り込んでいると 横を通り過ぎるクラスメイト達が心配そうに声を掛けてくれる 手で大丈夫だと告げるけどまったく大丈夫じゃない 視界が白けて世界の重みが失われ秩序のない混沌に呑... 続きをみる
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深い谷間に見たこともない鳥が飛び交い 何羽もの美しい蝶が舞い踊る 犬がせわしなく餌を嗅ぎ回り 牛は暢気に道端で寝る 陽射しは強烈だけど日陰に入れば寒いくらい 新しい暮らしが始まり 世界は再編される 目の端に金色のウィスキーが映り 遠くにヒマラヤの山々がある 今 世界/意味の全体は再構築されようとし... 続きをみる
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その前に前回の『部屋探し』の記事で追加したいことがあるのでまず最初に。インドには不動産屋がないので大家との直接交渉で契約が成立すると書いたけど、そのせいで面倒な書類上の遣り取りや敷金・礼金・火災保険への加入などの強制的な書類上の手続きや余計な金を払う必要は一切ない。その場の口約束だけですべてが決ま... 続きをみる
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マジュヌカティラに一泊してから夜行バスでダラムサラに向かう。飛行機はガラガラだったけどバスは満席だ。夜8:20分発のバスに揺られて、11時頃に一時休憩でドライブインに停車した。 なかなか賑やか。 バンドの生演奏もやっているから、流行っているドライブインなのだろう。1時間くらいの休憩の後でバスは発車... 続きをみる
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日本にいる間はブログを更新していなかったのだけど、インドに戻ったので再び始めたいと思う。 昨日の夜(2月25日金曜日、おそらくこのブログをアップする頃は三月になってるだろう)ニューデリーの空港に着いて、そこからプリペイドタクシーでデリー郊外のマジュヌカティラに来た。ここから私の嫌いな夜行バスで目的... 続きをみる
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日本に戻ったのは6月17日だったのだけど、何かと忙しくて記事を書くのが今日になってしまった。 ダラムサラを出たのが6月12日、飛行機でデリーに着いたのが2時頃だった。予約しておいたホテルは空港から近いので歩いてみる。 10年前の印象しかなかったので、もっと小さい筈だと思っていたのが失敗で建て直され... 続きをみる
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直子さんはインドのダラムサラでチベット仏教を勉強している方で、その成果をご自身のブログ(https://www.dechen.jp/)で公開している。直子さんは私がダラムサラでチベット語を教えてもらっている先生でもあるので、まずはそのブログ記事を紹介しよう。 『時間』 (時間は)過去、古代インドで... 続きをみる
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今、ダラムサラはロックダウンされているので外に出られない。天気の良い日には誰もいないゲストハウスの屋上に出て山と空を眺めながら風に吹かれて日向ぼっこをして、悪ければ部屋でおもしろそうな YouTube を探している。晴耕雨読は理想的な時間の有効活用の仕方だけど、今の私は理想的な時間の潰し方をしてい... 続きをみる
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私のハンドルネームである寒烏は この絵から採った。蕪村の『寒烏図』だ。同じ主題で河鍋暁斎の『寒鴉図』もある。 これらの絵を観るたびに、この烏/鴉は〈私〉だ、と思ってしまう。
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10年前、私はチャリでお釈迦さまが歩かれたガンガー沿いの仏跡を巡礼していた。その途中、疲れたので田舎の露店の茶店に入ってチャイを飲むことにした。入った途端、店主は顔つきが嫌らしかったけど、チャイを飲むくらいなら何も問題はない、と思って飲んでいると、そこに7歳と3歳くらいの兄弟が重いバケツに水を汲ん... 続きをみる
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この落語は子供の頃、何回か聴いたことがあってとても好きだった。楽しくて、しかも怖い。それを最近 YouTube にアップされている貴重なテレビ画像で見ることができた。まさに話芸の傑作だ。もともとこの噺は明治期に活躍した圓朝という噺家がグリム童話を元ネタにして作ったものらしい。その噺は、 江戸時代、... 続きをみる
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『クレヨンしんちゃん』のおもしろさは、(特に臼井儀人の原作で)大人の「思い込み」が覆えされるところにある。「コドモとはこういうモノ、オトナとはこういうモノ」という固定概念が覆えさせられる面白さだ。例えば、しんちゃんはオトナの性欲を持っている。同年代の幼稚園の女の子には興味がなく、二十歳の成熟した「... 続きをみる
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狩野芳崖の『悲母観音』、数多い観音図の中でも最高傑作だと思う。ここには深い慈悲がある。
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インド料理(カレー)は、基本的には水で食材を煮て、そこに香辛料を加えて香りと刺激をつける。サンスクリット語では「煮る」と「料理する」は同じ単語だ。でも多くの日本人にとってはインドの香辛料は強烈なので、最初はなかなか馴染めない。なんだか表面的な刺激物、という印象がある。インド料理にはダシという概念は... 続きをみる
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今でもはっきり覚えている。高校1年の通学途中のバスの中だった。住宅街の中の小さな酒屋の入り口が見えた時、突然、世界がその在り方を変えてしまった。その街並みや酒屋は毎日見ていたのに、それまで見ていた世界は錯覚でしかなかった、というように。重大な思い違いをしていたのだ。日常が突然まったく見知らぬものに... 続きをみる
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私が好きなピアニストは、クラシックではウラディーミル・アシュケナージ とグレン・グールド の二人だ。アシュケナージではラフマニノフのピアノ協奏曲の二番と三番が好きで、グールドはバッハのゴールドベルク変奏曲の2度目の録音が好きだ。でもアシュケナージとグールドでは性格がまったく違う。アシュケナージは静... 続きをみる
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空に月が浮んでいるというのは なんて不思議なことなんだろう 『眠るジプシー女』 砂漠に旅芸人のジプシー女が眠り その横にライオンがいる現実にはあり得ない光景 『ピレネーの城』 こっちの方がもっとありえない 『海上の漁師たち』 少し現実に近い これは泊まっているゲストハウスの屋上で撮った八日目の昼の... 続きをみる
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日本への定期便が再開したら、一度日本に帰ろうと思っているのだけど、いつになるかわからない。この冬はここダラムサラで越すことになりそうだ。 インドとは言っても、ここはヒマラヤに近い山の中なので、とにかく寒い。少し前、近くの山に雪が降り、その冷気がここまで押し寄せて来ている。冬至を過ぎたらその寒さはい... 続きをみる
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「色即是空」の〈色〉とはインド哲学では「具体的にそこに存在する物」の意味である。でも色自体は、そこにそのものとして存在している物ではない。現代の科学によれば、色とは、光の波が何かの物にぶつかり、特定の波長の波だけが反射されて目の網膜に映り、さらにそれが電気的な信号に変換されて、それを受け取った脳が... 続きをみる
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数学の数(存在)の体系は、自然数ー分数ー整数ー無理数ー虚数、と増えてきた。 例えば、1+1=2 であるというのは、それは 2 という数があるからで、もし 2 という数がなかったら 1+1 の答えはどうなるだろうか。 [余談だけど、エジソンは小学生の時「なぜ 1+1=2 なのか」という質問を先生にし... 続きをみる
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田一枚 植えて立ち去る 乙女かな 芭蕉 うろ覚えなので、この句がこのままだったかどうか分らない。そして以下に述べるのは、まったくの私の空想だ。 ある日、芭蕉が長い旅に疲れて、陽にきらめく美しい瑠璃/陽炎のような水が張る田んぼの近くの、大きな木(たぶん20mくらい離れている)の根方に寝ころんで休んで... 続きをみる
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私はちっともグルメではないので、食べ物にはこだわらないのだけど、でもやっぱり1年半も日本を離れていると日本の食いものが恋しくなる。 その中でも今の私が一番食いたいものは、立ち食いソバ屋のやまかけソバだ。よく仕事帰りの駅の立ち食いソバ屋で食っていた。噛み締めなければわからないホンノリとしたソバのそこ... 続きをみる
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最近、英会話の勉強のためにカーペンターズのトップ オブ ザ ワールドをよく聴いている。この曲は私が中学生の頃に流行っていて何度も聞いたけど、当時は歌詞の意味なんて何も知らずに聞き流していた。英語の歌詞は Such a feeling’s coming over me There is wonder... 続きをみる
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以下に述べるのは、『マヌ法典』と『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』の一部分、それと私が実際に出会ったインド人たちから受けた印象なので、主に男の意見である。それを踏まえておいてもらった上で、 法、富、愛の3つがそれだ。これらの言葉を単独で厳密に定義するのはとても難しいのだけど、でも共通項は拾えるん... 続きをみる
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私は今インドのダラムサラというところにいて、ここには亡命チベット政府とダライ・ラマ14世の公邸もある。あまり大きくはないお寺に併設されていて、これがノーベル賞を受賞された法王さまのご自宅なのかと思うような、これもまたあまり大きくはない家だ。でもさすがに、門の前にはマシンガンを肩に下げたインド人の軍... 続きをみる
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あるお経(その名前は忘れてしまったけど)の中に下のように述べてある。これはこの言葉を聞いた記述者(アーナンダ)が記録したので、ありのままではないだろうけど、そして私の記憶も曖昧なので正確ではないと思うけど。 ある時、マガダ(?)の都に一人の女がいた。その女は貧しい家の出身だったのだけど、とても美し... 続きをみる