奥の細道を求めて

仏を求める旅

シュレーディンガーの猫、生と死の重ね合わせ、縁起と無と空

量子力学と仏教哲学との親近性について考えてみたい。


シュレーディンガー


は量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式を23歳の若さで完成させた天才だ。でも自分で作った方程式を解いたら、その結果は常識とはかけ離れたものになってしまった。でも方程式に間違いがないことは確認済みなので、その結果を疑うことはできないのだけどそれを、身に染み付いた常識は受け入れることができなかった。それでその違和感を表明するために「シュレーディンガーの猫」という有名な思考実験を考案した。その内容は、密閉された箱の中に一匹の猫を入れておく。そこに1時間後に50%の確率で崩壊する原子も入れて置く。原子が崩壊したらガイガーカウンターがそれを検知して毒ガスが発生するような装置を作っておいて、さて1時間後に猫は生きているのか死んでいるのか、を問う思考実験だ。


確率で記述するシュレーディンガー方程式の解によれば、蓋を開けるまで猫は50%ずつの確率で生きている状態と死んでいる状態が重ね合わせられていて蓋を開けた時点でそれがどちらか一方に収束する、という解釈になる。でも常識では、見ていてもいなくても猫は生きているか死んでいるかのどちらであり、人が蓋を開けて確認したことによって猫の生死が決定される、なんてことはあるはずがない。現実は客観的なものであり、人が確認するかしないかで現実が決定されるなんてことはあり得ないと思うし、この方程式を作った本人でさえそんな結果を受け入れることができなかった。でも現在では、それは受け入れなければならない前提である、と大多数の物理学者は考えている。


まったくの余談で下世話な話しだけど、天才は往々にして人間としてはロクでもないヤツが多い。シュレーディンガーはその代表格の一人で女にだらしがなかった。結婚しているのに愛人を作り子供を生ませてしまって、さすがに常識のないシュレーディンガーも責任を取らなければいけないと思ったらしい。だけど金がないので彼は愛人と子供を自分の家に連れて来て妻と一緒に住まわせてしまった。でも愛人と妻の関係は良かったらしい。互いにシュレーディンガーの悪口を言い合って盛り上がったんじゃないだろうか。さらにその数年後、大学の職に就いた時、教え子の女学生二人も妊娠させてしまった。シュレーディンガー方程式を数学的に完成させるまでにはいくら天才でもとんでもない時間が掛かるだろうに、女を口説くためには時間を惜しまなかったらしい。しかも相手のために避妊する手段さえ取らなかった、というのは私には理解できない。でもまあ人の悪口はこのくらいにしておいて本題に戻りたい。


仏教でも生と死の重ね合わせ、が主張される。私は禅宗でしか見たことがないけど、書で生と死という文字を重ね合わせて書いてある作品がある。矛盾したことの重ね合わせを言葉で表現するのは難しいので書として表現したのだろう。決定論を嫌う仏教は生も死も固定した状態とは考えないので納得できる。仏教用語を使うなら生は固定した有であり死は固定した無である。この生と死、有無の矛盾の重ね合わせを空と呼ぶ、と私は考える。論理を重視するチベット仏教ゲルク派では矛盾を回避するために有無の両極端を離れた別のあり方としての中道を主張するけど、私はそのような別のあり方としての空ではなく、矛盾の重ね合わせとして空を捉えた方が良いと思う。矛盾を矛盾のままに受け入れることが空ということじゃないのだろうか。禅の影響が強いニンマ派でもこのように考えている、と私は思う。

人は生まれながらに矛盾を内包している。芥川龍之介の『河童』にも語られているように、人は自分の意思で生まれたのではないにもかかわらず生まれてしまえば生に執着してしまう。もし生まれる前に生まれるか生まれないかを選択できるなら、生まれない方を選択する人もいるだろうに私たちは強制的に生まされてしまう。そして欲望と争いに満ちた世の中に絶望して死を選ぶ人もいるだろう。芥川龍之介はそのような人だったのだろうと私は思う。でも本来的に矛盾を内包した仏教はそのような人にも空というあり方で生きる道を示してくれている。

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