奥の細道を求めて

仏を求める旅

上座部仏教の主張する「大乗非仏説」への反論

パーリ語で書かれた上座部仏教の経典はおそらく、お釈迦様の教えを確認するために集まった弟子たちによる初回の結集の後にまとめられたものだろう。なのでそこには原始仏教の面影が色濃く残っている。その結集ではアーナンダが記憶を元にお釈迦様の言葉を再現し、全員がそれに同意した。二回目の結集はそれから百年後に行われたらしい。

ちなみに私は結集が行われた洞窟に実際に行ったことがある。現地の案内板に書かれていたところによれば初回も二回目もこの洞窟で行われたらしい。100人くらいは入れそうな広い洞窟だった。

その二回目の時に仏教教団は意見の食い違いから上座部と大乗の二派に分かれた。なので大乗経典はそれ以後に成立したものだろう。上座部の非難はもっともなことだとも言える。


でもここで重要なのは、覚りを開いたのはお釈迦様一人だけなのか、という問題だ。上座部仏教はお釈迦様一人だけと考えるのに対し、大乗では過去七仏のように複数いると考える。私はもちろん大乗の教えに同意する。パーリ語教典の中にも「あなたは覚りを開いた」という認可の言葉や「私を信仰してはいけない、あなた自身で考え(覚り)なさい」と記されているのだから、覚りを開く可能性(如来蔵)は誰の中にもある。私はナーガールジュナやチャンドラキールティも覚りを開いた仏と思っているけど、大乗では次の仏は弥勒菩薩




であると予言されているので二人とも菩薩と呼ばれている。そして大乗経典を著した名が知られていない菩薩たちも私の中では仏である。なので上座部仏教の主張する「大乗非仏説」は私の立場からは否定される。

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