奥の細道を求めて

仏を求める旅

私が初めてインドに来た時のこと #5

入滅の地であるクシナガラに着いた。お釈迦様が入滅されたのは80歳の時で、おそらく故郷への旅の途中だったのだろうと言われている。救えなかったシャカ族を弔うために最後の旅をしたのだろう。二本の沙羅の木の下で、右脇を下にして入滅された。


死因は下痢による脱水だった。その少し前に信者に饗応された何かしら(一説には茸とも豚肉とも)の食べ物に当たってしまったらしい。お亡くなりになる直前に、布施してくれた彼にはこのことを伝えてはいけない、と遺言した。その信者が罪を感じてはいけないという心遣いだろう。インド思想家の中で、自分が死ぬ刹那にも相手のことを思いやるという優しさはお釈迦様独自のものだ。その時、弟子の一人が

「釈尊には何か覚りに至る秘法があるのではないですか、最後にどうか教えてください」とお願いした。

「私が教えられることはすべて伝えた、秘法なんてものは何も無い。私の教えを参考にしてそれを自分で考えなさい」

というのがお釈迦様の最期のお言葉だった。これが有名な『法灯明自灯明』という教えだ。なので大乗仏教では教えをただ盲信するのではなく、自分で確かめなくてはいけない。そのための方法論が瞑想で、瞑想は物理学における思考実験のようなものだろうと私は思っている。チベット仏教ゲルク派ではこのような論理的な瞑想が主流らしい。それと対極にあるのがニンマ派の瞑想で、中国禅の影響からだと思うけど「完全な無」を瞑想の対象にする。ゲルクからすればニンマは何も勉強しない、ニンマからすればゲルクは本ばっかり読んで実践をしない、と言っている。私は禅から仏教に入ったのでニンマ派の言い分に親近感があるのだけど、禅の瞑想の指導の仕方はとても不親切だ。基本的なこと(縁起)を教えただけで、本質(空)には何も触れずほったらかしにしてただ追い詰め、そうじゃない、と言うだけだ。あくまでも空は自分で掴まなくちゃならない、ということなのだろう。

×

非ログインユーザーとして返信する