奥の細道を求めて

仏を求める旅

畑山隆則 vs 坂本博之


今、ダラムサラはロックダウンされているので外に出られない。天気の良い日には誰もいないゲストハウスの屋上に出て山と空を眺めながら風に吹かれて日向ぼっこをして、悪ければ部屋でおもしろそうな YouTube を探している。晴耕雨読は理想的な時間の有効活用の仕方だけど、今の私は理想的な時間の潰し方をしている。そんな中で見つけたのが表題の試合なので紹介したい。これは2000年10月11日に横浜アリーナで行われた、日本ボクシング界の歴史に残る名試合だ。当時の私も茅ヶ崎の安アパートで一人リアルタイムでテレビを観ていた。



この写真は試合前の畑山のインタビュー。「殺すまでやってやるよ」と言っている。



この写真は坂本。坂本は孤児院で育った。その孤児院の子供たちと一緒に遊んでいる紹介映像だ。



青いトランクスがWBA世界ライト級チャンピオンの畑山で初の防衛戦。白いトランクスが挑戦者の坂本、坂本はこれまでに三度世界タイトルに挑戦して全て失敗している。年齢的にこれが最後の挑戦だろう。もちろん、私は坂本を応援している。

前評判では、3 : 1 で、畑山が勝つだろうと予想されていた。畑山はスピードのあるアウトボクシングができて、接近戦の打ち合いでも決して負けない。それに対して坂本は一発のパンチ力はあるけどスピードはない。なので畑山が足を使ってアウトボクシングをすれば楽勝だろうと誰もが考えていた。

でも、試合が始まると畑山はそんなボクシングをしなかった。外国人選手の中には汚い手を使ってでも勝ちさえすればいい、と思っているボクサーも多くいるけど、坂本はそんな人間ではないと畑山は知っている。同じ日本人である坂本に対する敬意、あるいは同じスタイルで戦っても俺は勝てるはずだ、という自負だったのだろう。畑山は 1R のゴングが鳴ると同時にいきなり真っ向から足を止めて打ち合った。畑山のセコンドは「なぜそんなリスクを負うようなボクシングをするんだ」と忠告したけど、畑山は耳を貸さない。3Rまではほぼ互角だったけど、3R目の最後に畑山は坂本の強いパンチをモロに食らってしまった。そして 4R から畑山は戦法を変える。セコンドの忠告を受け入れたのだ。アウトボクシングをして 4R目 から流れは少しずつ畑山に傾く。7, 8, 9R はほぼ畑山の一方的な展開になってしまった。でも、それでも、どんなに打たれても坂本は倒れない。




3R もの間一方的に殴られていたのに。



この写真は 9R のゴングが鳴った後の畑山の表情だ。「一体全体、コイツは何なんだ」と思っただろう。このまま行ってしまったら、ホントに殺してしまうかもしれないという得体の知れない恐怖を直に肌で感じただろう。

そして 10R 開始の合図から 13秒後に、この劇的な試合は終わった。





畑山のワン・ツーが坂本の顔面にヒットし、坂本は派手にダウンする。ダウンした直後にタオルが投げ込まれた。セコンドはもっと早くタオルを投げようと何度も思ったに違いない。このまま坂本がいくら打たれても倒れなければ、ホントに死んでしまうと思っただろう。まるで『あしたのジョー』を現実に目の前で観ているようだ。倒れている坂本の横で畑山が両手を挙げて抱えられている時、畑山は客席に孤児院の子どもたちを見つけ、下ろしてくれるように静かに頼んだ。



試合後、畑山は「再戦は絶対にしない」と語った。ホセ・メンドーサも矢吹との試合後に同じ言葉を言っていたような記憶があるのだけど、どうだっただろうか。


いつか井上尚弥もこんな試合をしてくれるだろうか。

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