奥の細道を求めて

仏を求める旅

私が初めてインドに来た時のこと #3

ヴァラナシは言わずと知れたインド最大の聖地だ。私は燃えている人の死体の間を歩いて渡り、泊まるところを探した。その近くのそこそこ清潔でそこそこ安い。焼き場に近いので毎日見に行くこともできて、人が燃える時にはプツプツ油が跳ねることを知った。金のない人を焼く時には生焼けのままガンガーに燃え残りの薪と一緒に流してしまう。インドでは死がすぐそこにある。私は日本で育ったのでその光景はショックだった。日本も西洋も死を隠してしまうから私達は死を忘れてしまいがちだ。でもそれは違うと思ってしまった。インドではすぐそこに死がある。

サールナートはヴァラナシ からチャリで1時間くらいのところにある。お釈迦様と一緒に修行していた五人の僧たちが、お釈迦様は修行に耐え切れなくて逃げたのだと、見限って新たに見つけた修行の地だ。漢訳では鹿野園と記されている。昔は鹿が多くいたのだろう。そこで語られた内容が四聖諦として碑文に刻まれていた。一番聡い人はその日に覚りを開き、一番遅い人でも一週間後に覚りを開いたと言う。四聖諦の内容は以前に書いたのでそちらを参照して欲しい。


巨大なストゥーパもある。アショカ王の時代に建てられたものだろう。イスラム勢力の侵攻によって当時の建物は遺跡しか残ってないけど


さすがにこの巨大なストゥーパを壊すのは諦めたらしい。面白かったのは博物館だった。



破壊され土中に埋められた遺物が発掘されて展示されている。私がとりわけ良いと思ったのは15cmくらいの小さな文殊菩薩の石像だった。一目見ただけで文殊菩薩と解る。象徴になるものは何も持っていないのに智慧第一と呼ばれる理由が小さな顔の表情だけで分かるというのはその作者の天才によるものだろう。しみじみと良い(当時の私はカメラもケータイも持っていなかったから記録を残せなかったのが残念だ)。とにかくお釈迦様はその五人を弟子にし、説法の旅を続けた。


私が次に向かうのは平家物語でも有名な祇園精舎だ。公共の交通機関を使うととても不便なところにある。私はチャリなので何の問題もなかったのだけど。インドではサヘートマヘートと呼ばれている田舎の村で、観光客目当てに祇園精舎だけが公園として整備されている。でもヒンドゥーの聖地ではないので有名ではなくインド人はあまり来ない。私が行った時には巨大な公園に誰もいなかった。


お釈迦様の説法座も残っている。


金箔が貼られた説法の座も諸王との謁見の間も土台はそのままだ。裏には寝室もあってお釈迦様はここで眠っていらっしゃったのかと思うと感慨深い。小さな寝室で慎ましやかだ。周囲には僧院も多く、同じくらいの寝室だけの建物も多くある。大部屋の寝室がないのは新しい発見だった。仏教は瞑想を修行の核とする個人主義なので大部屋は作らなかったのだろう。次はお釈迦様入滅の地であるクシナガラに向かう。サヘートマヘートからクシナガラまではかなりの距離がある。チャリで2ヵ月くらい掛かるだろう。なのでこの後しばらくは途中の旅の記述をしてみよう。

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