奥の細道を求めて

仏を求める旅

仏教哲学のブログ記事

仏教哲学(ムラゴンブログ全体)
  • 『善悪の彼岸』 ニーチェ

    ニーチェ の『善悪の彼岸』は、神の定めた善悪の法を超人は超える、という思想だ。人が神を超えるというのは仏教も同じで、お釈迦様はブラフマーをも超えている。これは縁起(社会)の中の善悪の取り決めを空は超える、ということである。善悪は縁起(現世)の価値基準の中で成立するものであって空では無効になる、何故... 続きをみる

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  • 『死霊』 埴谷雄高

    埴谷雄高(1909/12/19~1997/2/19) は『死霊』という小説を書いた作家で、私が好きな小説家の一人である。この作家はあまり有名ではないのでご存じない方も多いと思うから仏教に関心を持つ皆さんに紹介したい。『死霊』では「自同律の不快」という主題が展開されている。「自同律の不快」というのは... 続きをみる

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  • 『街とその不確かな壁』 村上春樹

    この作品は私が長く待っていた村上春樹 の新刊でとても良いけど、少しわかり難いところもある。おそらく何かのメタファー(隠喩)なのだろうが、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』に似ている。ウィキペディアによれば、 1980年『文學界』9月号に掲載された。後に発表される『世界の終りとハードボ... 続きをみる

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  • 現実感と物の重さ、あるいは論理的整合性と無意識

    私たちが物を見てそれに現実みを感じられるのは、その物の重さを手に取って身体で直に感じられるからである。目の前にあるウィスキーのグラスを目で見ただけではそれは夢と区別できない。そこに現実を感じられるのはそのグラスを実際に手に取ってそこに重さを感じられるからで、視覚だけではそこに現実を実感することはで... 続きをみる

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  • 死を体験する ショッキングな絵が続くので苦手な方は見ないように

    死とは時間が止まることである。養老孟司はYouTubeで「私(一人称)の死を体験することはできない、知らない人(三人称)の死を体験することもできない、私が体験できるのはあなた(二人称)の死だけである」と語っていた。確かにそうだろう。私にとっての縁起の世界は「あなた」によって成立しているのだから、そ... 続きをみる

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  • 夢と現実の境界

    ここで述べる夢は理想としての夢ではなく、毎晩実際に見る夢のことである。夢には楽しい夢もあるけど悪い夢もある。そして悪夢の中で、これは夢ではないのか、と疑ってみても見ているのだから現実に違いないと思ってしまう。夢では視覚と聴覚は再現されるけど、味覚嗅覚触覚は幻として思い込まれるだけなので、目が覚めれ... 続きをみる

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  • 手と言葉

    手は不思議だ。 これはデューラーの『祈る手』。手は炊事、洗濯、掃除などの家事も、人に挨拶することも、音楽を奏でることも、祈ることもできる。そして画家の中には手を描くのが最も難しいと言う人も多い。何故ならそれは手が人間の本質である文化を作ったからであり、これは手が身体におけるもう一つの言葉である、と... 続きをみる

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  • 身体の境界

    普通は、自分の身体の境界は皮膚にあると思っているけど、私はそれでは不十分だと思う。例えば使い慣れた道具は身体の一部のように目で見なくても扱えるし、毎日運転している車は皮膚感覚のように車体と障害物の距離を測ることができる。壁に車体を擦ってしまった時には肌に擦り傷が付いてしまったような擬似的な痛みを感... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #10 時間の質、あるいはそのあり方

    以前の記事(論理と体験)の補足として、体験による時間には質の差がある、ということについて述べてみたい。例えば、地球が太陽を回る物理的時間 と個人の思い出の中の時間は質が違う。前者は万人が時計で計れる一律に経過する時間(しかし現代の量子力学ではそうとも限らないらしいのだけど)で、後者は個人が生まれて... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #9 論理と体験

    以前に書いた『経験と記述』と似ている内容だけど、重要な論題なので少し視点を変えてもう一度考えてみたい。 ものごとを探求する際の方法論として、厳密な論理によって分析する方法と曖昧な体験を吟味するというニ通りの方法がある。論理による分析は数学や論理学のように誰にでも適合するような方法論であり、体験を吟... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #8 行の意味

    前回の記事で「行を止めることによって空を現前させ、行を進ませることによって再び世界/縁起が成立する」と書いたけど、これだけでは解り難いと思うので今回は仏教用語の「行」について考えてみたい。 「行」のサンスクリット語は 'samskaara' でこれは世界そのもの、あるいはその世界を... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #7 経験と記述

    経験したことを理解するということは、その経験を言語化することである。私は長いこと体験したことを記述するなんて何も難しくはないと思っていたのだけど、それは縁起に関することだけで実際に空を言語化しようとするとそうではなかった。縁起における体験は身体、感覚器官あるいは心で行う行為(仏教では六識の働き)で... 続きをみる

  • マラルメと陶淵明、詩的論理

    現代詩の始まり、と言われる19世紀フランス象徴派の詩人マラルメは詩の概念を変えた。それまで詩の主題だった歴史物語や個人の感情の揺らぎを「自己と存在の本質とは何か」という問いに変えたのだ。この問いが生まれるきっかけとなったのが、マラルメが「形而上学的危機」と呼んだ体験(形而上絵画を生んだジョルジョ・... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #6 記憶と無我の関係性

    (マラルメの真似) 微笑みを乗せた更紗を吹く風が葉を揺らし 微かな音を立てて氷の音を響かせる 底には朽ちた葉が散り葉音は雷鳴に変わる インドラの矢は硬い氷の鏡を砕き水をも燃やす 陽も通さない橅の巨木の森に深く昏い川が揺蕩う 雨がやむと更紗のカーテンは首垂れて氷の底に沈む もう川は涸れ徒らに朽ちた根... 続きをみる

  • 空の言語化の試み #5 詩的論理

    芭蕉やT・S・エリオット、シェイクスピアのような優れた詩人が言葉を紡ぐ時そこには、コンピュータを動かしている基礎に数理論理学があるように、何か詩的論理のようなものが働いているのではないだろうか。ならその構造を言語化できないだろうか。もちろん私一人の力には余ることだけど、出来る限りは試みてみたい。 ... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #4

    今回は日常言語の多義性という側面から考えてみたい。 鳥や狼や猿のような群れで生活する動物が、狩や防衛のために意味を伝えるだけなら、鳴き声/記号(言葉)の意味は数学の変数の定義のように一義に単純であった方が良い。けれど人の言葉はそうではなく多義的である。これは何故なのだろうか。 それは各人の理想が異... 続きをみる

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  • チベット仏教による仏教諸学派の分類

    以下の論考はチベット語の教科書であるこの本を論拠にしている。 中観を仏教教義の中心に据えるチベット仏教では、仏教諸学派を中観、唯識、アビダルマ、経量部の四つに分ける。私にはアビダルマと経量部が別項として立てられいるのが意外だった。アビダルマはお釈迦様がお亡くなりなった直後に成立した煩瑣哲学で、お釈... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #3

    3番目は瞑想についてである。瞑想は以前の記事にも述べたけど、大きく分けて止(シャマタ)と観(ヴィパシャナー)の二つからなる。ここでは考察を解りやすく進めるために単純化して、止を空の体験の瞑想、観を縁起の体験の瞑想と捉えて考えを進めよう。 止と観は矛盾するものである。何故なら止(空)は時間を止めなけ... 続きをみる

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  • 空の言語化の試み #2

    空と言葉の関係性を考えてみたい。 名詞は個々の存在物を指すことが多く意味を固定してしまいがちだけど、単語の連続である文章はナーガルジュナやチャンドラキールティが行ったようにそれ(意味の固定化)を防ぐことができる。そしてこれは、言語とは意味の差異の体系である、と規定したソシュール の定義にも合致する... 続きをみる

  • 空の言語化の試み #1

    空の言語化はナーガールジュナに始まる中観派の長い歴史の中で常に試みられてきた。禅宗は詩によって言語化しようとしたけど、私はこれを私なりに論理的に言語化してみたい。 結論から先に言えば、空とは縁起における時間を止めることである。 刹那滅の説明でよく引かれる映画フィルムの喩えを考えると解りやすい。昔の... 続きをみる

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  • 覚り・解脱・涅槃

    似たような言葉として、覚り・解脱・涅槃があるけど、それらはどのように違うのだろうか。以下に述べるのは私の個人的な解釈であり反論も多いと思うけど、とりあえず今の私の考えを述べてみたい。 覚りとは空と言うか、どちらかと言えば無を体験することである。普通、菩提樹下のお釈迦様の覚りは縁起だったと言われるこ... 続きをみる

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  • ものごとの意味

    前回の記事で「意味付けという煩悩の牢獄」と書いたけど、では意味とは何で、何故それが煩悩なのだろうか。 言語学で意味論は形式意味論と認知意味論とに分かれているらしい。形式意味論は意味というものを明確に数学的に扱うものであり、現在のコンピュータがこれだけの発展をしたのは形式意味論(数理論理学)の成果に... 続きをみる

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  • 瞑想

    仏教において最も重要な修行である瞑想は、実践する人によってやり方と内容が様々なのだけど、共通しているのはそれらはすべて心を内省することに重点を置いている、ということである。でも、自己の心を内省する、というのはどういうことなのだろうか。 インド/チベットの大乗仏教では瞑想をシャマタ(漢訳では止)とヴ... 続きをみる

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  • チベット語における བྱ། の意味について

    チベット語クラスのテキスト の中に、བྱ་བྲལ་རྟོག་མེད། という一文がある。今の私の実力で訳すなら「ものごとを離れて、(それを)概念化しないこと」で、私はこれが解脱ということだろうと思って質問したら、「チベット仏教ではこの考え方を解脱とは見做さない」という答えだった。後日、日本での私の... 続きをみる

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  • 物理学と数学のチベット仏教哲学との関連性について

    一般に物理学は存在の本質と性質を究明し、数学はそのための方法論であると理解されている。しかし量子物理学者カルロ・ロヴェッリの『世界は「関係」でできている』 という本を読むと彼の立場ではどうやらそうではないらしい。物理学も数学も関係性を扱う学問らしい。このことは数学を考えた方が解り易いと思う。例えば... 続きをみる

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  • チベット仏教での「諸法無我」の解釈について

    諸法無我は、仏教を他の教え(バラモン教の六派哲学)と区別する四つの特徴である四法印の中の一つである。四法印は諸行無常、諸法無我、一切皆苦、涅槃寂静の四つで、以下に諸行無常と諸法無我について述べてみたい。 最初の諸行無常の行は解釈が難しいのだけど、私はこれを「主体と客体の関係性によって作られたもの」... 続きをみる

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  • 私とは何か、そして世界はどのように成立しているのか

    高校生の頃からの私の疑問なのだけど、未だに解決がつかない。もちろんこれは人類にとっての最大の謎なので簡単に解くことができないのは当たり前なのだけど、私は少しでもこの問いを前に進めたいと思っている。以下に述べるのはそのための試行錯誤の過程だ。 この問いは私と世界との関係性についての問いだ。私は世界が... 続きをみる

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  • 私が初めてインドに来た時のこと #7

    忘れていたけど、もう一つ重要な場所があった。霊鷲山だ。 意味は禿鷲の山。頂上に禿鷲に似た大きな岩がある。平地からの高さは200mくらいだろう。マガダ国の王様も礼拝しに来たので広い道もある。ここでお釈迦様は多くの経典を説いたと伝えられているのだけど、説法座は写真からも判るように決して広くない。2,3... 続きをみる

  • シュレーディンガーの猫、生と死の重ね合わせ、縁起と無と空

    量子力学と仏教哲学との親近性について考えてみたい。 シュレーディンガー は量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式を23歳の若さで完成させた天才だ。でも自分で作った方程式を解いたら、その結果は常識とはかけ離れたものになってしまった。でも方程式に間違いがないことは確認済みなので、その結果を... 続きをみる

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  • 上座部仏教の主張する「大乗非仏説」への反論

    パーリ語で書かれた上座部仏教の経典はおそらく、お釈迦様の教えを確認するために集まった弟子たちによる初回の結集の後にまとめられたものだろう。なのでそこには原始仏教の面影が色濃く残っている。その結集ではアーナンダが記憶を元にお釈迦様の言葉を再現し、全員がそれに同意した。二回目の結集はそれから百年後に行... 続きをみる

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  • 勝義諦と世俗諦、あるいは空と縁起について

    勝義諦と空が同一なのと同じく、世俗諦と縁起は同一である、と私は考えている。 大乗仏教の二つの大きな柱が空と縁起であり、その価値の間に優劣の差はない、ということに異論がある人はいないだろう。そして勝義諦の内容が空であることも一般に認められている。でも世俗諦と縁起が同一であることはそうではないらしい。... 続きをみる

  • 私的理解による仏教思想の流れ

    仏教の始まりは2500年前にインドのルンビニー(現在の政治区分ではネパール)でお釈迦様が生まれ、35歳で覚りを開き80歳で亡くなるまでの45年間にガンジス河沿いの北インド各地で説いた教えを基にしている。お釈迦様は自身の言行を記録してないけど、説法に常に随行していたアーナンダ(お釈迦様と仲の良い若い... 続きをみる

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  • 解脱と煩悩

    解脱とは煩悩あるいは永遠の輪廻(業苦)からの解放である、という事はバラモン教でもインド仏教でも共通の認識だ。でもいったい解脱とはどういうコトなのだろうか。 最初に結論を言っておくけど、私が思う解脱とは禅宗で云われている生と死の重ね合わせのことだ。そして解脱するためには煩悩を完全に滅してしまってはい... 続きをみる

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  • 刹那滅

    時間論は物理学でも西洋哲学でも一大テーマだけど、私の知る限り仏教学に於いては刹那滅論しかない(とは言えそれは膨大な量なのだけど)。なのでまず仏教における刹那滅論を紹介したい。 刹那滅は仏教に於いて諸行無常を時間論の立場から説明した概念だ。流れる川のように、ものごとは一瞬(刹那)も留まらない、という... 続きをみる

  • 乱数表、あるいは空について

    乱数表は主にコンピュータ科学で利用される数学的道具の一つだけど、これを完璧に生成できるアルゴリズム(方法)は存在しない。 乱数表なんて勝手に数字を並べれば良いだけなんだから、最も簡単に作れるんじゃないかと思うかもしれないけど、乱数表には人の意思も何らかの物理法則も数学も時間も介在させてはいけない、... 続きをみる

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  • ポール・ヴァレリ

    ヴァレリ はフランスの詩人で、かつ批評においては他に並ぶもののない天才だった。彼の個人的なノートであった『カイエ』に述べられた事柄は今でも私の指針としてある。特に私が24歳の時に読んだグラディアートルの章に述べられた事がらは今の私の人生を決定したと言っていい。 グラディアートルとはその当時のフラン... 続きをみる

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  • 中道について

    大乗仏教の基本理念である中道の解釈には変遷がある。最初にお釈迦様が説いた中道は、苦行によっては涅槃(ニルヴァーナ、こころの平安)に至ることはできない、ということだった。マハーバーラタを部分的にだけど読んでいるとバラモン教の多くの苦行者は圧倒的な力である神通力(超能力)を手に入れてその力によって自分... 続きをみる

  • 「縁起」と「輪廻」について

    輪廻とは何か、何が輪廻するのだろうか。 輪廻の核となるような「私」という実在はない、ということは龍樹(ナーガルジュナ)以降の大乗仏教の歴史の中で揺らいだことがない確信だ。ではそのよう核が無いなら、一体何が輪廻するのだろうか。 私はここで唯識思想を検証したい。主に無着(アサンガ)で 唯識といえば世親... 続きをみる

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  • ニカラグア手話、あるいは言語とはどういうものなのかについての考察

    言語学に興味がある人なら知っていると思うけど、ニカラグア手話の発生と発展の歴史の記述は言語学においての一大トピックだった。 私自身誤解していたので先ずことわっておきたいのだけど、手話は世界共通の言語ではない。国の数だけの手話の種類があり、しかも各国で方言まであるらしい。つまり手話も自然発生言語の一... 続きをみる

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  • 「無自性」とは何か

    今回は少し、仏教哲学に関する専門的な議論になってしまうので、興味がない方はトバしてください。 「自性は認めない」というのが仏教の最も基本的な立場なのだけど、では「自性」とは一体何なのだろう。仏教哲学で最も重要な用語の一つなのだけど、重要な概念だけにこれを明確に定義した用例を私は知らない。 私が思う... 続きをみる

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  • 時間と言葉 (直子さんのブログ記事から)

    直子さんはインドのダラムサラでチベット仏教を勉強している方で、その成果をご自身のブログ(https://www.dechen.jp/)で公開している。直子さんは私がダラムサラでチベット語を教えてもらっている先生でもあるので、まずはそのブログ記事を紹介しよう。 『時間』 (時間は)過去、古代インドで... 続きをみる

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  • 言葉とは何か 2.

    次に唯識派の言語観について考えてみたい。 唯識派では「識の本質は現象をとどめることにある」と考えられている(私も意識の本質は刻々に移り変わる現象を留めるものだと考えている)。そして識とはコトバのことだ。 唯識派では「識」の構造をアーダナ識(分別意識)、マナ識(自意識)、アーラヤ識(無意識)の三層に... 続きをみる

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  • 言葉とは何か 1.

    私は、仏教の本質とはすべての生き物に共通の、生き延びるために必要な煩悩によって価値付けられた固定的現実世界、世俗(無明)から → 空(明)の世界を経由して → 縁起(自由な世界)としての現実を生きる(幸せの)こと、ではないかと思っている。 その三層の世界は違うものではない。お釈... 続きをみる

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  • 柔らかいこころ

    私は、仏教を学ぶ上で(のみならず、現実を生きる上でも)最も重要なことは「柔らかいこころを持つこと」だと思っている。これは道元禅師も仰っている。中国から帰国した道元は、朝廷に謁見し「お前が中国から持ち帰ったものは何か」という問いに対しただ一言「柔軟心」とお答えになった。当時国費で中国に留学した人びと... 続きをみる

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  • 数学とはどのような学問であるか

    数学の数(存在)の体系は、自然数ー分数ー整数ー無理数ー虚数、と増えてきた。 例えば、1+1=2 であるというのは、それは 2 という数があるからで、もし 2 という数がなかったら 1+1 の答えはどうなるだろうか。 [余談だけど、エジソンは小学生の時「なぜ 1+1=2 なのか」という質問を先生にし... 続きをみる

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  • 芭蕉と子規の俳句についての私の解釈

    田一枚 植えて立ち去る 乙女かな 芭蕉 うろ覚えなので、この句がこのままだったかどうか分らない。そして以下に述べるのは、まったくの私の空想だ。 ある日、芭蕉が長い旅に疲れて、陽にきらめく美しい瑠璃/陽炎のような水が張る田んぼの近くの、大きな木(たぶん20mくらい離れている)の根方に寝ころんで休んで... 続きをみる

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  • 神秘主義と井筒俊彦

    私が自由に使える言葉は日本語しかない。でも世界にはことばの天才と呼ばれている人たちが多くいる。その一人が『コーラン』を和訳した井筒俊彦という人だ。世界的に有名な哲学者であり宗教学者でもある。30ヶ国語を自由に使うことができたらしい。とても信じられない話だ。 噂では各国の大使館員を自宅に呼んで教えて... 続きをみる

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  • 空と縁起

    空と縁起を説きたまえる釈迦牟尼仏と龍樹菩薩に礼拝いたします さて、以前の記事(『鬼滅の刃』と『魔法少女 まどか☆マギカ』、あるいは〈自性の否定〉についての考察)で、空と縁起について述べたのだけれど、仏教哲学については少し不明瞭で分かりにくかったと思うので再度、空と縁起および言葉との関係性について考... 続きをみる

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