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仏を求める旅

ニカラグア手話、あるいは言語とはどういうものなのかについての考察



言語学に興味がある人なら知っていると思うけど、ニカラグア手話の発生と発展の歴史の記述は言語学においての一大トピックだった。

私自身誤解していたので先ずことわっておきたいのだけど、手話は世界共通の言語ではない。国の数だけの手話の種類があり、しかも各国で方言まであるらしい。つまり手話も自然発生言語の一つなのだ。そして音声言語も手話も、その発生はとても古いのでその発生と発展の過程は知られていなかった。

でもそこで1970年か80年頃に、ニカラグア手話という全く新しい言語が生まれた。


歴史的な経緯を説明すると、まずニカラグアで革命が起き革命政府が発足する。新政府は国を近代化しようとして、その一環で初めて全寮制の聾学校を首都に設立したのだけど、残念なことにここには手話を教える先生がいなかった。というのは、当時のニカラグアでは識字率を上げようとしていて、聾者にも先ずは手話ではなく文字を教えようと計画していたらしい。でも音を知らない聾者には文字と音を対応付けることができないし、その音の集合である単語や文章が現実の物事と対応しているという言語の構造を理解させることも難しい。なので、生来の聾者に音声言語の構造を教えるという試みは失敗してしまった。

その時に集められたのは100人くらいの14,5才の思春期の男女の子供達だったらしい。そこに集められる前の子供達は各家庭の中だけの環境で家族に意志を伝えられるような身振り手振りのジェスチャーを使って意思の疏通を図っていた。でもその方法は各家庭で異なっていたので、最初は集められた子供達の間でも意思の疏通はできなかったらしい。でも皆んな同じ状況で暮らしているから、たとえば「お腹が空いた」という互いのジェスチャーは違っていたとしても、その意思はすぐに伝わる。でも「お腹が空いた」という状況を伝えることはできても、それを分割して「私は」「お腹が」「空いた」という要素に分割することには 23年の時間が掛かったらしい。でもここで彼等に初めて名詞や動詞という単語の概念が生まれたのだ。(普通、私達は言語の発生は単語の確定から始まったのだろうと思ってしまうけれど、それは間違いで、最初はお互いの欲求が一致していることの確認から、どうしたらその欲求が満たされるのかの相談として言語は始まるのだ。つまり要素の確定よりも意志が先行する。なのでコトバの基本単位は名詞ではなく動詞なのだ。)


そしてこの段階で先生達は、子供達の間で自分達には全く理解できない子供達だけの独自の言語が生まれたらしい、ということに気がついた。そこで彼等の言葉を理解したいと思って言語学者に依頼し、助けを得ることができた。数人の言語学者が集められたらしい。言語学者にとって新しい言語の発生の現場を目の当たりに体験できるなんて夢のような話しだ。そしてそこで彼等は言語の発生と発展の過程を記述した。その結果、今子供達が使っている言語はまだ、単語の羅列を作って意思を伝えるという段階で、まだ単語の並べ方の規則や動詞の使い方、要するに文法はまだ形成されていないこと(このような言語のことをピジン言語と言うらしい)に気がついた。

そしてそこに56歳の新入生が入学して来て、新入生達は先輩達に独自の手話としてのピジン語を教えてもらい、すぐに習得してしまった。56歳の子供は言葉の習得が早い。それに対して145歳ではもう新しい言語を自然に習得することが難しい。そしてその新入生達がニカラグア手話を自分達だけで言語として成立するものに作り上げてしまった。つまり文法的に成立する独自の言語(これをクレオール言語と言うらしい)と呼べるものを作り上げてしまったのだ。そしてピジン語の発生からクレオール語の成立までの時間はたったの10年しか掛からなかった。もしかしたら、そこには大人の言語学者達の手助けがあったのかもしれないけど、それにしても驚異的な早さだ。そしてそのニカラグア手話の発展は今も続いていて、言語学者達は今もその記述に忙しい。


ここから何が言えるだろうか。私が思うには、言語には決まった枠組みというものは一切ない、ということだ。音声言語であろうと視覚言語(表情や服装もその中に含む)だろうと、その間に優劣の差はない。その人が生きている状況の中で、言語あるいは文化は独自に発展して行くモノなのだから。

そして私の今の課題は、どのようなコトバだったら「空」を記述することができるのか、ということだ。ヒントはいくつかある。(品詞が流動的な)チベット語と(方法論としての)唯識思想と(厳密な学問としての)現代物理学だ。でもそのためには数学とチベット語会話ももっと勉強しなくちゃいけない。多難ではあるけれど、私はそれがしたい。

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