奥の細道を求めて

仏を求める旅

ポール・ヴァレリ

ヴァレリ


はフランスの詩人で、かつ批評においては他に並ぶもののない天才だった。彼の個人的なノートであった『カイエ』に述べられた事柄は今でも私の指針としてある。特に私が24歳の時に読んだグラディアートルの章に述べられた事がらは今の私の人生を決定したと言っていい。

グラディアートルとはその当時のフランスで圧倒的に強かった競走馬の名前だ。男の子は強いものに憧れる。とは言え肉体的な強さには限界があるのでヴァレリはそれを精神的な強さに転化しようとした。ナポレオンの戦術の圧倒的な強さをヒントにして精神に転化したのだ。

二十歳の頃ヴァレリは圧倒的な叶えられない恋をした。その人は人妻(ロヴィラ夫人)だった。諦めるためにヴァレリは嗚咽と涙と叫びの嵐の一夜(ジェノヴァの危機)を過ごす(ジェノヴァの危機は失恋の体験だけではなく、それと関係して自己意識の危機でもあった)。その危機を回避するするために23歳のヴァレリは『レオナルド・ダ・ビンチの方法 序説』


という本を書き上げる。これがヴァレリの処女作だ。その内容はヴァレリのような一途に思いつめる脆い精神を、科学的手順/方法を踏むことによって観察し強靭なものに鍛え上げようとする試みで、スポーツ選手が科学の知見を利用してトレーニングするようなものだ。でもスポーツ選手と違うのはその(科学的)方法論を(精神的)目的論と融和させようとした点で、ヴァレリのこの本は、こころ/ことばと物理学/数学との統合を目指した序説/試み(デカルトの『方法序説』という題名を念頭に置いていたのは間違いない)だった。そしてこのテーマはヴァレリの終生の課題になる。(ちなみにこの方法は仏教では聞・思・修の過程として一般化されている。聞は教えを聴いて学び、思はそれを自分で考えて新しい仮説を立て、修は瞑想という思考実験を行ってそれの正誤を検証する)。


私の精神の危機は17歳の時に訪れた。死/無の恐怖だ。これまで疑うことがなかったこの私や世界の現実が実は幻でしかなかった、という確信だ。もしそうならそんな存在しない/何とも関係を持てない私は世間から隔絶/無化されてしまうのではないか、という不安だった。私のその恐怖からの回避の方法はヴァレリよりは単純で、世間の一切の関係から身を引いて繭/撚糸島の中に閉じ籠もり、私一人きりの中では一切の混乱/矛盾/不整合を生じさせない、という対処の仕方(ヴァレリの用語だと孤島主義・インシュラリズム)だった(この方法は物理学の用語で言うならエントロピーの増大を最小限にとどめる、つまり時間の流れを止める、ということだ)。両親は驚いただろう。元々変な息子がいきなり口も利かなければ目を合わせることもしなくなってしまったのだから。それ以来私と両親の関係は上手く行かず、私にはもう何も期待しなくなってしまった。仕方ないことでありその時はそうするしかなかったのだけど、もう亡くなってしまった両親にいまさら謝ることもできない。志賀直哉のような『和解』は私には訪れなかった。

私がその繭/撚糸島から出たのは24歳の時だった。たまたま寝床の布団の中で『グラディアートル』を読んで私が一人ではないことを知り、ある女に恋をした。ヴァレリの悲劇の始まりが恋だったのに対し、私の救いが恋だったのは皮肉なことだ。ヴァレリが論理的な類推によって世界を広げたのに対して私は詩的な恋を手掛かりにして世界を広げることができた。彼女はもう人妻だけど、別れて数年後に彼女の女友達を介して、私の思いと感謝を伝えられたのは良いことだった。

そして私の仄かな赤い光が射す繭/撚糸島のイメージも、今では仏教における言葉、縁起、空、無(もちろんこれらは重層的な構造を形成していて単体で取り出すことはできないけれど、その相互関係を記述することは可能だと思っている)への探究として今でも(もうこの歳になれば終生と言ってしまってもいい)私の課題だ。

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