音楽と数学
音楽と数学は似ている。音楽は明確な五線譜上の音符と強弱などの記号で記述され、数学は数と明確に定義された記号で記述される。でもそれらの明確さの中にもある種の揺らぎ(あるいは不確定性)は存在する。
例えば数学的なバッハおけるリズムや音程と詩的なモーツァルトのそれとは同一の五線譜上には表現できなくて、各表現者の解釈によって変化するだろう。もっとも、私の耳はあまり良くないのでその違いは聴き分けられないけれども。数学にはそのような揺らぎは無いと思われているかもしれないけど、その内部に不完全性が存在する以上、何らかの揺らぎがある可能性はある。
ではそんな音楽と数学との間に共感覚性、あるいはさらに進んで互換性は成立するだろうか。この問題はヴァレリが生涯を賭けて取り組んだ課題だ。互換性を成立させるためには二つの構造の違いを調べて、そこから類推によってその可能性を探る、という方法を採った。フランスで知性の最高形態が類推にある、と認めてられているのはこのせいだ。
現代音楽家たち(例えばジョン・ケージの不確定性の音楽)の幾何学的楽譜
はそれに取り組もうとする試みだったろうし、オイラーの公式
e の iz乗 = cos z + i sin z
から特殊な場合に成立するオイラーの等式
e の iπ乗 -1 = 0
が導かれる過程は音楽的に美しい、と言える気もする。
共通しているのは感性の重要さだ。数学に感性は必要ない、と言う人もいるだろうけどそれは間違っている。検証する際には必要ないかもしれないが、数学上の大発見は自由なアイデアという感性豊かな25歳以下の若い数学者によってもたらされているのだから。