奥の細道を求めて

仏を求める旅

『クレヨンしんちゃん』と仏教との類似性について


『クレヨンしんちゃん』のおもしろさは、(特に臼井儀人の原作で)大人の「思い込み」が覆えされるところにある。「コドモとはこういうモノ、オトナとはこういうモノ」という固定概念が覆えさせられる面白さだ。例えば、しんちゃんはオトナの性欲を持っている。同年代の幼稚園の女の子には興味がなく、二十歳の成熟した「ななこおねいさん」に恋をしている。西洋ではフロイトが現れるまで、五歳の幼児が性欲を持っているとは考えられていなかった(もっとも、それを性欲と呼ぶべきかどうかは現代では議論があるらしいけど)。

イギリスでは、大人は完成された(神に近い)者であり、子どもは未完成(動物)なので、大人が子どもを厳しく躾けなくてはいけない(人間が犬を躾けるように)、と考えられていた。なのでイギリスの貴族の子弟が通う学校(ハリー・ポッターの魔法学校のようなもの)には全寮制の学校が多い。親元にいるとどうしても甘やかしてしまうからだ。そのような学校ではワガママな子どもを鞭で叩いて厳しく躾ける。日系イギリス人のカズオ・イシグロという作家もそのようなイギリスの教育システムの弊害を告発しているし、そしてその構造は戦乱の世界を経由したあとの儒教も、西方のアーリア人が侵略したインドも同じだ。異民族を併合した社会の安定/秩序を保つためにはその方が有効だろう。なのでコドモ(被征服民)がオヤ(征服民)に逆らうことは許さない。

そこで『クレヨンしんちゃん』だ。しんちゃんは母親を「みさえ」と呼び捨てにする。そのたびに「しんちゃん」は叩かれるけど、決してそんなことではヘコタレない。高圧的な母親をバカにして反抗する。「三段腹、ケツデカ妖怪オババ」なんてね。日本の江戸時代に庶民が高圧的な武士を落語という芸術でバカにしたのと同じ構造だ。さて、原作者の臼井儀人が仏教に親近感を持っていたのは『クレヨンしんちゃん』の家の床の間に「色即是空」の掛け軸が掛かっていることから明らかだ。

でも臼井儀人は人気絶頂の中で死んでしまう。ウィキペディアから引用しよう。


2009年9月11日、かねてより登山が趣味であった臼井は妙義荒船佐久高原国定公園の荒船山



へ単身で日帰り登山に行くと言って、早朝自宅を出発。列車を乗り継ぎ、下仁田駅からタクシーで登山口の内山峠へ向かい、そこで目撃されたのを最後に連絡が取れなくなった。‪翌朝‬になっても帰宅しなかったことから埼玉県警察春日部警察署へ捜索願が出された。このことは著名な人物の失踪事件として、各種マスメディアでも報道された。

‪9月19日になり、荒船山の岩壁にておよそ高さ120メートルの崖下に転落している男性が登山客によって発見され、佐久消防署に通報された。現場の状況から行方不明となっていた臼井本人であることが疑われ、9月20日に群馬県警察の捜索隊が現場へ直行し、男性を収容して下仁田警察署へ搬送。家族関係者により遺体の確認作業が行われ、骨が折れて顔は判別できないほど損傷が激しかったが、最終的には歯型(歯科データ)が決め手となり、臼井であることが判明し、死亡が確認された。満51歳没(享年52)。‬

当地での警察による検視の結果、死因は全身強打による肺挫滅であり、死亡推定時刻は‪11日午後‬頃と推定された。滑落現場は過去に事故例がほとんどないことから、事件性の有無についても捜査が行われたが、現場から発見されたデジタルカメラに残っていた最後の画像は、崖の下を覗き込むように撮影されたものであったことが判明したことから、事件性はなく、写真を撮っている際に、誤って足を滑らせて転落したのであろうと報じられた。写真のタイムスタンプなどから、最後の写真は‪9月11日の12時20分頃‬に撮影されたと推定されている。


‪でもこれは本当に事故だったのだろうか。‬時には、子が親に対する反抗は命がけになることもある。

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