奥の細道を求めて

仏を求める旅

お釈迦さまの対機説法の例


あるお経(その名前は忘れてしまったけど)の中に下のように述べてある。これはこの言葉を聞いた記述者(アーナンダ)が記録したので、ありのままではないだろうけど、そして私の記憶も曖昧なので正確ではないと思うけど。


ある時、マガダ(?)の都に一人の女がいた。その女は貧しい家の出身だったのだけど、とても美しかったのである金持ちの若い男が恋をして(金持ちの両親は反対したけど)結婚をした。でもなかなか子供が生まれなかった(インドでは女は子供を産まなければその家の一員とは認められない)。数年してからやっと男の子が産まれた(インドでは男しか宗教儀礼を行えないので、嫁が認められるためには男の子を産む必要があって、それは今でも同じらしい)。初めて、ようやく生まれた男の子なのでみんなが祝福してくれた。ところが、ある朝お母さんが目覚めるとその子は息をしていなかった。お母さんはパニックになってしまう。

その子を抱きかかえたまま、まだ明けきらない町に飛び出して、数少ない通行人に「私の大切な男の子が死んでしまいました。なんとか生き返らせる方法はないでしょうか」と泣き叫びながらお願いをした。行き交う人はみんな可哀想だと同情したけど「死んだ子を生き返らせる事は出来ない。諦めなさい」と説得した。でもお母さんは誰に言われてもどうしても諦められない。そんな時、ある人が「最近有名な修行者がいるから、その人のところに行ってみたらどうだろう」と教えてくれた。その修行者の名前がシャカムニだ。お母さんは藁にも縋る思いでそこに行く。するとそれを聞いたお釈迦さまはなんともあっけなく、「いいだろう。芥子粒を三つ貰って来なさい」と言った。

お釈迦さまのこのことばを聞いた弟子達はみんな驚いてしまった。だって今まで一度もそんな呪術のようなことばをお釈迦さまから聞いたことがなかったのだから。当時そのような呪術はバラモン教には多くあったらしいけど、お釈迦さまはいつもそれを否定していた。

お母さんが喜んで飛びだそうとするとお釈迦さまが一言付け加えた「でもそれは死人を出した事がない家から貰って来なけりゃいけないよ」と。それで弟子達はみんな納得したのだけれど。

でもパニックになってしまっているお母さんにはわからない。町中のすべての家を回ってお願いした。どの家にも芥子粒はたくさんあるから三粒くらいどの家でもくれる。でも死人を出した事がない家は一つもなかった。当時のインド社会は大家族制をとっていたので、そんな家が一つもない事は落ち着いて考えればすぐにわかることだけど、その時のお母さんにはわからない。

日が暮れて、一日中歩き回ってヘトヘトになったお母さんにお釈迦さまが説いた。「死なない人間はいないのだよ。ただそれが早いか遅いかの違いだけだ。生に固執してはいけない」。そのおことばを聴いた時、初めてお母さんは我が子の死を受けいれることができて、家を出てお釈迦さまの弟子になった。


この話の要点は何か。それは〈体験が思考に優先する〉ということだ。パニックになっているお母さんにいきなりそんなことを言っても通じるわけがない。なので身体を使って死が身近なものなのだと、まず体験させた。お釈迦さまはまずパニックを治めることが最優先だと、一瞬で見抜いたのだ。そして身体を使って多くの死を体験させてから、その上で初めて空を説いた。お釈迦さまが医者だとも言われる由縁だ。

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