奥の細道を求めて

仏を求める旅

ものの意味が失われた体験


今でもはっきり覚えている。高校1年の通学途中のバスの中だった。住宅街の中の小さな酒屋の入り口が見えた時、突然、世界がその在り方を変えてしまった。その街並みや酒屋は毎日見ていたのに、それまで見ていた世界は錯覚でしかなかった、というように。重大な思い違いをしていたのだ。日常が突然まったく見知らぬものに変わってしまった。〈ものごと/存在と時間〉の意味が失われ、世界はリアルという重さを失ってしまった。まるで昔のドイツ映画『カリガリ博士』の中の舞台装置のハリボテのようだ。私がこれまで唯一確実だと思っていた現実世界は演劇舞台装置の中の仮の一場面でしかなかったのだ。そしてこれまでの〈私〉も同様にハリボテでしか無かったことに気がついた。自分の手を見ると、それは血も肉も熱ない、ただの人形の手でしかなかった。

そしてもっとも重要なのは、これが完全な揺るぎのない確信だったことで、数十年経ってしまった今でも、この時の確信は変わっていない。

そしてこれはあまりにも強烈な体験だったので、その後の私の人生を決定的に変えてしまうことになった。世界の意味/価値のすべてが無くなってしまったので、世界の中に私の居場所も無くなってしまったのだ。

最初は学校生活と家庭生活が変わってしまった。元々口数は少ない方だったのだけれど、その日からは一言も喋らなくなってしまった。仕方なく何か言わないといけない時には私自身の思いではなく、テレビでよく見るような受け応えを最小限だけしてその場をやり過ごしていた。そんな風ではもちろん学校で友達はできない。家ではもっと徹底して一言も喋らないし、家族と目を合わせることもしなくなってしまった。たぶん両親は反抗期だと思っていただろう。でも事態はもっと深刻で、危機的な極限状況だった。

2年生の英語の時間にその現実の危機はやってきた。言葉が、聴覚による直感では理解できなくなってしまったのだ。話されている言葉は空中を漂う文字の羅列であり、それを理解するためにはその空中の文字を読み取るしかない。机の間を歩いている先生は、まるでキリコの絵の中の人形のように歩いている。座っている生徒達も同じ、頭だけが大きなハリボテの紙のオモチャで、そしてこの私もそれと同じで人間ではない。恐怖に捕われた私はその危機を回避するために、何も見ない、何も聞かない、何も感じないように、ただ体と心を硬く閉ざしてじっと坐っていた。歩きながら空中に教科書の文字を吐き出していた人形の先生は立ち止まり、何か問題を出して人形の誰かに答えさせようとして、生徒達の席を見渡した。[絶対に俺の名前を呼ぶな]と私は目を伏せて念じた。たぶん身体は小刻みに震えていたと思う。もしその時それがその名を呼んだら、私はいきなり飛び付いて、それを否定するために、その首を絞めていたかもしれない。パニックの寸前だった。その当時に精神科を受診していたら、たぶん何らかの病名をつけられていた事だろう。

高校を卒業し、大学を出ても、その状況は変わらなかった。しだいに緊張は緩やかになってはきていたけれど、やはり私は普通の生活を送ることができなかった。就職もせずに怠けたバイト生活を送り、解決の糸口を探して本ばかり読んでいた。デカルトやポーやホフマン、鏡花など、その頃読んだ本は今も私のこころの奥にある。

その体験から7,8年が過ぎて24歳になった時、そんな状況に転機が訪れた。ヴァレリーの『カイエ』の中のグラディアートルについての記述を読んだのがきっかけだった。この本を知っている人は少ないかもしれない。ヴァレリーはフランスの詩人、『カイエ』はヴァレリーが毎朝書いていたメモのようなもので出版を目的にしたものではない。グラディアートルはその中に断片的に書かれている当時の競走馬の名前だ。猛烈に強かったらしい。ヴァレリーは『カイエ』の中でグラディアートルの意志を描いている。その意志はただ早く走ることだけだ。グラディアートル自身にとっては世界に何の意味も目的も無い。ただ意志だけがある。それを読んだ時に私は救われた気がした。人生に意味、あるいは価値を求める必要はないのだと。人は知性/常識によって固定的に生きているのではなく、意志によって刻刻に生き創造的に成立しているのだ。人が生きるためには意志さえがあればいい。

そしてその意志の具体的なカタチを見つけたと思ったのが30歳の時だった。仏教学者である鈴木大拙の本の中にその意志を見つけたような気がしたのだ。上手く言えないけど、〈真理〉あるいは〈私〉と〈世界〉の成り立ち方の探究、のようなものだろうか。そしてそれからもう30年以上も経ってしまったけど、私は少しでも進歩しているのだろうか。いつまでも歩き続けることを願っているのだけど。

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