奥の細道を求めて

仏を求める旅

言語の本質とは何か

現代言語学の始まりはソシュール




の『一般言語学講義』(悪名高いフランス構造主義の始まりでもある)で、それをより科学的に洗練させたのがチョムスキー




の生成文法だ。


私が、言語学にも通底していると思っているコンピュータ科学のデータベースを構築するための最も有効なアルゴリズム(方法論)、に二分木探索法がある。数学的にこれが効率的なので、チョムスキーの言語学でもこの方法を採る。言語の本質であるカテゴリーの区別は二つの構造に分かれる、という考え方で、それが主語と動詞だ。その二大構造の中でも個々の意味が分かれるけど、それを細かく分析していけば曖昧な言語でも厳密な二分木構造に還元できるだろう、というアイディアだ。そしてその基本構造はすべての言語に於いて共通であるだろう、という予想でもある。もしそれが検証されたら、ヴァレリの念願だった芸術と科学の統合が達成されるのかもしれない。


でも私の考えでは、日本語やチベット語には必ずしも固定的な主語や動詞は必要ない。日本語もチベット語も文脈という時間/縁起に依存しているので、固定したヨーロッパ言語文法の枠組みでは捉えられないと思っている。言語には本質的に揺らぎ/偏り/重力という不確定性が存在しているのだから、私はチョムスキーの方法よりももっと有効な方法があるんじゃないかと思う。

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