奥の細道を求めて

仏を求める旅

マルキ・ド・サド

性文学の広さと深さは測り知れない。古くは紫式部の『源氏物語』(源氏物語を性文学に分類するのに反対する人はいるだろうか。まだ子供の「紫の君」を力づくで犯したり義母と関係を持ってしまうなんてのは性文学の定番だ)やアラビアの『千一夜物語』、近いところでは永井荷風の『四畳半襖の下張』、谷崎潤一郎の『鍵』、少し変態的なところでは川端康成の『眠れる美女』、志賀直哉の『児を盗む話』、求道的なものならインドの『カーマ・スートラ』やジョルジュ・バタイユの『眼球譚』、過激なSMならマルキ・ド・サドの『ソドムの120日』と沼正三の『家畜人ヤプー』、映画なら『ピンクフラミンゴ』などなど、数え上げたら切りがない。


そんな中で特に研究が進んでいるサド


について書いてみたい。サドは高位の貴族(侯爵)でホンモノの変態だった。男色はもちろんで、娼婦に下剤を飲ませてオナラの匂いを嗅いだりオシッコを飲んだこともある。遊びが興じ過ぎて売り物の娼婦に傷を付けてしまい、その持ち主である娼家から損害賠償の裁判を起こされてしまったこともある。公判記録が残っているからそれが事実だったのは間違いないだろう。その後も度々当局からの検閲を受けて投獄され、生涯の3分の1以上を牢屋で過ごし最後は精神病院で死んだ。普通ならそんな男の妻は離婚しそうなものだけど、サドの妻は一生涯そんなロクでもない夫につくし続けた。娘を愛する母の伯爵夫人は離婚調停の裁判を独自に起こしたのだけど、肝心な娘が同意しないのでそれは無効に終わってしまった。男女の仲というのは他人には窺い知ることができないものらしい。澁澤龍彦に拠れば、サドが度々投獄されたのはサドを憎しみ尽くした伯爵夫人が司法を動かしたからでもあったらしい。そんなサドと妻とのエピソードを一つ。


傷害事件の裁判と、その当時からサドの試作的な性文学は一部の貴族の間で広まっていてキリスト教会からも危険視されていた。そのせいでサドは牢屋に入れられるのだけど、貴族なので個室に入れられて差し入れや面会も自由だ。そんなサドの元へ健気な妻はお菓子を差し入れに毎日通っていた。ある日サドは妻に別の或る差し入れを要求する。それは張方だ。妻は職人を訪れてそれを注文するのだけど、そんな有名な事件を起こしたスキャンダラスな貴族の妻の顔はみんな知っているから、注文された職人たちはもちろんその妻自身が使うのだろうと思って大笑いしただろう。現実は想像を超える、とは言え、伯爵夫人の娘であるその妻はどうしてそんな恥に耐えることができたのだろうか。もちろん母はそんな娘がそんな恥をかいていたなんてことは露程も知らなかった。そして当人のサドはその頃牢屋の中でそのペニスをケツに挿して勃起した自身のモノを弄って一人楽しんでいた。『ソドムの120日』というサドの本としての処女作(出版されたのはその20年後、おそらく内容のあまりの過激さに出版社が躊躇したのだろう)はその薄暗い牢屋の中で小さな紙に虫眼鏡で見なければ読めないような細かい字でビッシリ隠れ書いたカケラを繋ぎ合わせた、性の闇を解き放した文学の傑作だ。

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