奥の細道を求めて

仏を求める旅

なぜインド哲学では「色」が「物」の意味になるのか

「色即是空」の〈色〉とはインド哲学では「具体的にそこに存在する物」の意味である。でも色自体は、そこにそのものとして存在している物ではない。現代の科学によれば、色とは、光の波が何かの物にぶつかり、特定の波長の波だけが反射されて目の網膜に映り、さらにそれが電気的な信号に変換されて、それを受け取った脳が勝手に表象した、幻にしか過ぎない、と解明されている。でもその色彩の変化は、私たちにはとても美しく感じられる。

ではさて、なぜインド哲学では「色」が「物」の意味になるのだろうか。私はおそらく、赤ちゃんが生まれて初めて見た世界が色だった、からだと思う。インド哲学は宇宙の原初の姿を探究するので、物/存在の原初は色だった、と判断したのだろう。

そしてインド社会では、色がカーストの意味でもある。今のヒンディー語でもその意味で使われているかどうかは知らないけど、昔の文献を読むと確かにそのように使われている。おそらく中東、あるいは北ヨーロッパ出身のアーリア人たちが2,3000年前にインドへ侵攻した当時は、肌の色が決定的に違っていたのだろう。そして今でも、インド人の中には多少の色の違いがあり、顔立ちの違う人たちも多くいる。

人生の始まりに見た色の違いがインド社会の歴史の中でも、モノの価値として成立していたので、色がモノ(物と者)の意味になったのではないだろうか。

現代科学で解明されている、脳内の色の見え方の仕組みを理解すれば、「色即是空」の意味も論理的にはすんなり理解できる。

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