奥の細道を求めて

仏を求める旅

りんごとは何か

りんごが何かなんて幼稚園の園児だって皆んな知ってるじゃないか、と思ってしまってはいけない。単純なもの、良く知っていると思い込んでものほど奥が深い。例えばセザンヌという画家はりんごの絵を何枚も描き、いつかりんごで世界を驚かせてみせる、と言っていたらしい。そして、実際に驚かせてしまった天才だ。次の三枚の絵が私はその代表作だと思う。



おそらく描かれた年代順に並んでいる。一枚目は輪郭線と色面による構成で、テーブルの上に7個のりんごが置かれている。二枚目は花瓶の青と花の赤、葉の緑と紫の花の対比が美しい。そしてその下に3個のりんごが水平に(スルバランの完璧な静物画のように)並んでいる。花瓶寄りのりんごは一枚目と同じ輪郭線と色面が一致して描かれ、少し離れて並んでいる2個のりんごは意識的に輪郭線と色面がずらされている(これを偶々、そう描いてしまった、などと思ってはいけない。セザンヌは極めて意識的な画家なので、そんな不注意なことは決してしない)。一番左のりんごは花瓶の青と対比させるために赤く、右に視線を移すにつれてオレンジ、黄と美しく変化する。そして三枚目、これが最も有名なセザンヌのりんごの絵で、再び輪郭線と色面が一致し、緊張感を保ちながら、現実にはあり得ない構図で、しかも全体が矛盾なく構成されている。特に中央に置かれた1個のりんごが印象的で、このりんごによって世界は驚かされてしまった。

この絵の中に何個のりんごがあるのか数えてみたら、りんごか敷き物の柄なのか区別できないものもあったので、たぶん17,8個か22,3個だと思う。セザンヌはこの17,8、あるいは22,3個のりんごの中に彼の宇宙を観たのだろう。そして子規は十四、五本の鶏頭の花の中にまた別の/あるいは同じ、宇宙/過去と未来、を観たのだろうし、芭蕉は目には見えない古池と蛙の音の響き合いの中にそれを聴いたのじゃないだろうか。

そして今、私はインドで、誰もが知ってるりんごの一つをかじっている。

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