奥の細道を求めて

仏を求める旅

アルチのグリーンターラー

先日アヤさんからマハーカーラのタンカを買ったばかりだというのに、また新しいタンカを買ってしまった。アルチのグリーンターラーだ。




この絵はセキさんという日本人画家がダラムサラに来た時に手に入れたものでとてもいい。アルチというのはインド北部の山間地の地名で、その付近のチベットのお寺の壁画の様式の名前にもなっている。私は今では画集を持っているのでアルチの全体像をほぼ把握しているけど、何も知らず初めてアルチを訪れた時にこの絵を見た時には心臓が雷に撃たれたような気がした。セキさんのこの絵はその壁画の模写だ。




壁全体が仏画で埋め尽くされている中にこの絵はあった。窓のない真っ暗な礼拝堂で薄暗い懐中電灯を照らしながら初めてこの絵を見た時のショックは今でも鮮明に覚えている。もう15年くらい前になる。そして今では、この絵を見ると私は円山応挙の『藤花屏風』




との親近性を感じてしまう。題材も様式もまったく違うのにそれは何故なのだろう。それは現実と幻想の差異の質の共通性にあると思う。このような藤の木は現実には実在しないしこのようなグリーンターラーも実在しないということは経験的に解っているけど、でもそれはここに成立している。あり得ないはずのものが今目の前にあるという驚きの質が共通しているのだ。そしてこれはピカソの『泣く女』


や高山寺の『鳥獣人物戯画』


で実現されたことも、ビルエヴァンスのワルツフォーデビーもレイチャールズのドゥローン・イン・マイ・オゥン・ティアスもグレン・グールドの弾くバッハのゴールドベルク変奏曲もみんな同じだ。ほんの少しだけ常識とずれている。

目を伏せて官能的に誘惑するターラーとあからさまに狂気へ誘なう藤の木は現実と解離しているけど、でもそれは今ここに成立しているのだ。

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