奥の細道を求めて

仏を求める旅

新学期



ライブラリーでの授業の新学期が始まった。私はチベット語のクラスを文法と会話の二つで受けているのだけど、そこにはさまざまな国の人たちがいる。ロシア人、アメリカ人、ドイツ人、オランダ人、台湾人、韓国人、中国人、ベトナム人、などなど。西洋人を除いて東洋人では皆んな大乗仏教圏の人たちで上座部の人はいない。私は上座部のウ・ジョーティカの『自由への旅』という本が好きなのでその人たちの主張も聞いてみたかったので残念だ。たぶん有益な意見が聞けただろうと思うのだけれど。でも残念なことに私は英語が苦手だし、会話も緊張してしまって上手く話せないのでコミュニケーションが難しい。

でもここにいる東洋人は皆んな英語が上手い。先生が話したジョークで皆んなが笑っているのに、私だけ笑えないのは少し寂しい気もする。僧服の人たちが多いので、たぶん優秀な人たちが中観仏教を学ぶために派遣されて来ているのだろう。去年私が親しかった若いベトナム人二人が帰ってしまったらしいのもやはり寂しい。


とは言え、私にはやらなくてはいけないことがある。それはバァーヴァヴィヴェーカ(清弁)の『般若灯論』をチベット語で読んで帰謬論証派と論争することだ。チベット語を勉強して2年目なのだけど、それまでにはあと何年掛かることやら。

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