奥の細道を求めて

仏を求める旅

10年前のインドの旅の、苦い思い出


10年前、私はチャリでお釈迦さまが歩かれたガンガー沿いの仏跡を巡礼していた。その途中、疲れたので田舎の露店の茶店に入ってチャイを飲むことにした。入った途端、店主は顔つきが嫌らしかったけど、チャイを飲むくらいなら何も問題はない、と思って飲んでいると、そこに7歳と3歳くらいの兄弟が重いバケツに水を汲んで運んで来た。可愛くて、兄弟が庇い合いながら一生懸命働いているのを見て、私はその子たちにたまたま持っていた飴玉(値段は2ルピー、日本円なら3,4円)をあげようとして手を差し出したのだけど、その兄弟は何か困ったような顔をして受け取ろうとしない。何故なのだろう、子どもはみんな甘いものが大好きなはずなのに。不思議に思っていたら、隣に座っていた地元のおじさんが「これはもらっていいんだよ。アイツが来る前に早く食っちまいな」と言ってくれた。そう言われた子どもたちは急いでその飴を開いて口に入れる、満面の笑みを浮かべて。そしてその包み紙を丁寧にたたみ、大事そうにズボンのポケットにしまった。それを見た時、私はもうどうしようもない気持ちになってしまった。

当時のインドでは子どもの人身売買が合法だったらしい。貧しい田舎の家庭では子どもを食わせることができないので、仕方なく親は子を売るしかないような社会だった。買主にはその子を学校に通わせなくてはいけない義務があるのだけど、警察の目が厳しい都会はともかく、こんな田舎でそれを守る買主はいない。『山椒太夫、安寿と厨子王』の世界が今目の前のそこにあった。たった10年前だ。今では働かされている子どもは見かけないけど、物乞いをしている子どもたちは、今でも多くいる。

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