奥の細道を求めて

仏を求める旅

数学について

虚数という数がある。ルート -1 という数だ。この数は現実には存在しない。二乗した答えが -1 になるような物事はこの世の中には存在しない。数学の歴史上でも、この数を認めるか認めないかで大論争になった。

古くは円周率の π 、対数の根である e 、なども一つの数として認めるかどうかが問題になったが、数学はそれを認めることによって大きく成長した。

でも、ルート -1 という数はそれらとは少し事情が違う。π や e は現実に存在するが ルート -1 はこの世界には存在しない数だ。神がそんな数を作るはずはない、ということで大論争になった。でも π や e を認めるなら、ルート -1 も、論理的帰結なのだから、認めてもいいのじゃないか、という主張が勝ちを占め、それを認めることによって数学はさらに豊かになった。

現代の素粒子物理学が成功したのはそれのおかげだ。現在ではルート -1 は i という新しい数で表記されている。このことによって、数学は異世界をも記述できる方法を手に入れた。

同じようなことが仏教でもできないだろうか。仏教における新しい方法論の探究が必要だと私は思う。

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