種田山頭火と尾崎放哉とアルチュールランボー
永平寺三句の中の一句
てふてふひらひらいらかをこえた
できれば山頭火のように無一物で歩きたいのだけれど修行の足りない身にはむつかしい
ぢっと瞳が瞳に喰い入る瞳
身のまはりほしいままなる草の咲く
そこに月を死の前におく
放哉は山頭火の友達で少し年下
日が落ちて桑畑の海を見る
二人とも秀才で いい大学を出ていい就職をした
放哉なんかは東大を出て大蔵省に入省したエリートだ
ただ二人とも欠点は酒癖が悪かった
山頭火の母親は山頭火が10才くらいの時に井戸に身を投げて死んでしまった
30才くらいのの時にぐでんぐでんに酔っ払って市電の前に立って跳ねられ 知り合いの編集者に救われ
放哉は忘年会で上司を殴ってしまい 辞めてしまった
その後山頭火は僧衣に身を包み日本中を行乞して廻り
放哉は瀬戸内海の小さなお寺の寺男になり 句を作りながら村人に酒を強請った
ランボーは16才で家出して 当時フランスを代表する大詩人だったヴェルレーヌと同棲した
ある日 俺は美を ひざの上にのせた
また見つかった 何が 永遠が 海に溶け入る太陽だ
Aは黒 Eは青 Iは白 Oは赤 Uは緑
でも影響を受けたのはヴェルレーヌの方で 惚れたのもヴェルレーヌの方だった
別れる時にはヴェルレーヌがピストルでランボーを撃ち新聞沙汰になってしまった
ヴェルレーヌには妻も子どももいたのに
その後25才で『イルミナシオン』という詩集を作ってから キッパリ詩はやめてしまい 当時フランスの植民地だったアフリカに渡って商人になる 45才くらいの時に足を切断されてフランスに戻り 余生は妹の世話になって暮らした
山頭火は結婚して子どももいたけど 放哉とランボーは生涯独身だったと思う
三人とも幸せな人生じゃない
天才というのは幸せにはなれないものらしい
私は凡人だけど やはり幸せには縁がない