奥の細道を求めて

仏を求める旅

チェンマイからバンコクへ

チェンマイのワット チェット ヨートというお寺も良かったので追加の写真を。

寝台列車でバンコクへ向かう。14時間の道のり。

旅の野の六日の月の 片ほしさ

李白の詩で、

峨眉山月半輪秋

影入平羌江水流

夜發清渓向三峽

思君不見下渝州

固有名詞が多くて、少し解り難いと思うので解説を。李白は長い旅の途中で舟に乗っている。

蛾眉は蛾の触角のように美しい眉を持つ美人の代名詞で、峨眉山はそのように美しい有名な山の名前、そこに半月がかかる秋の夜(に私は旅をしている)。月の光は平羌江(という名前の川)の水と共に(私と一緒に)流れている。夜に清渓(地名、たぶん地方都市で、李白のことだから飲んで謡ってのお別れ会をしたのだろうな)を発ち、三峽(これも地名、山深い場所)に向かっている(おそらく流れが急になり、危険な場所だろう)。(今はすでに三峽に入り)君(この解釈は何でも可だと思う、半輪の月、故人、友、あるいは清渓で別れた女、もしかしたら古代の王昭君への連想もあるかもしれない)を懐かしく思い出すけど、もう目に見ることはできず、渝州(地名、たぶん楼閣もないような穏やかな田舎町だと思う)へと下って行く。

この詩からの連想で作ったのだけれど、もちろん李白には遠く及ばないのでネタバラしをしておく。

さて、私は今バンコクのカオサン通りに来ている。

外国人旅行者が溢れていて、夜中まで大音響の音楽が流れているような歓楽街だ。私には向いてないのだけれど、ニューハーフのオネエサマ方が沢山いらっしゃってとても面白い。このくらいの煩悩はしかたない、と思うけど、どうかなぁ。

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