奥の細道を求めて

仏を求める旅

三枚の絵


実物を観たのはこの絵だけ。円山應擧の『藤花図』根津美術館にある。



ゴヤの『我が子を喰うサトゥルヌス』スペインのプラド美術館だったと思う。



実物はもっと明るい。ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』イタリアの有名な美術館だけど、何という名前だったかは忘れてしまった。いつかこの三枚の絵をガラスを通さずに観てみたい。

この三枚に共通なのは、どの絵も狂気を内包していることだ。サトゥルヌスは解りやすい、狂気そのものだ。藤花図では藤の幹がそれにあたる。應擧はそれを表現するために金箔の上に一気に墨を運んだのだ。美は狂気の中に成立するすることを示すために。誕生では、それは生まれたばかりのまだ視点を合わせられないヴィーナスの目にある。


藤花図

藤の花というと、松井冬子の藤の絵や、



吾峠呼世晴の『鬼滅の刃』の中の鬼を閉じ込めた牢獄が連想される。冬子は應擧の幹の代わりに、蜂と揺籠と少女を描いた。吾峠呼世晴は自らの狂気を閉じ込めて置くために藤の花を使った。

私がほんとうの美は狂気の中にあるんじゃないかと思うようになったのは、この藤花図を観てからだ。

余談だけど、岸田劉生の『麗子図』もこの流れにあるんじゃないだろうか。私にはそれはあまり成功しているようには思えないけど。


我が子を喰うサトゥルヌス

まさに狂気そのもの。ゴヤはこの絵を自分の食堂の壁に描いた。ここまで来るとテクニックは関係ない。殴り描きだ。ゴヤの奥さんはこんな絵が描いてある食堂でご飯を食べることはできなかっただろう。

ゴヤはテクニックでは、先輩のベラスケスに遠く及ばない。でも人間を描くことには天才だった。なので首席宮廷画家にまで上り詰めたのだけど、ゴヤがスペイン宮廷のために描いた絵はこの一枚だけ。まるで街中の貧しく仲の悪いパン屋の家族を描いたようだ、とある批評家は言っている。



こんな醜い絵を描いてよく処刑されなかったものだと思う。悪意と愚かさの塊のような家族図だ。そしてゴヤもそれと同類だった。政府の高官に取り入ったり、権謀術数を使って競争相手を蹴落したりもした。でも誇り高いゴヤの権威に対する反抗心はとても強く、たぶんストレスによる病気で聴覚も失ってしまったので、高官達との関係も保つことができず、やがて宮廷からは追放されてしまう。そんな失意の中で、落ちぶれた家の食堂の壁に描いたのがこの狂気の絵だ。


ヴィーナスの誕生

この絵は一見とても美しく、繊細で、バランスが良く、整合的な西洋美術の極致のようにも見える。でもそれを否定するのがこのヴィーナスの目だ。

ボッティチェリの壁画が日本で公開された時、それを直に観た私は、こんな天才は二度と現れないだろうと思った。でも後年の絵を知ると、ボッティチェリはその輝きを失ってしまう。私はその原因は西洋思想の合理主義だったと思う。ボッティチェリは当時の西洋合理主義の中に美を成立させようとして失敗してしまったのだ。もしボッティチェリが狂気の中に美を探究していたら、どんな絵を描いただろう。



これはついでに。

テレビアニメの『母をたずねて三千里』の中の一場面で、物語の最後の方、牛車の商隊と一緒に草原と塩の海と沼地を旅しているところ。牛車はとても巨大で、車輪だけでも大人の男の背丈の二倍くらいある。しかもこの商隊には、これまでマルコを愛してくれたような女性は一人もいない。この場面は、辛い沼地のルートからやっと陸に上がったつかの間の休憩時間で、中央に小さくランプを磨くマルコが一人だけ描かれている。そしてこの場面は、男だけの社会ではある種の狂気が生まれてしまうことを示唆している。私はマルコの旅の中で、この牛車の旅が一番好きだ。

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