奥の細道を求めて

仏を求める旅

食べものについて

食べものはとても大事だけど、私はそれにはあまりこだわらないので残念ながら料理の写真は少ししか撮っていない。その中から、いくつかの東南アジアの国とインドの料理を紹介したい。


インド

まずは10年前に初めてインドに行った時の話しから始めよう。

カレーは大好きなので、インドに行っても何も困らないと思っていた。日本食が特に好きというわけでもないし、子どもの頃から魚が苦手だったので生では食べられなかった。臭いだったと思う。肉の匂いは好きだけど、魚の臭いは好きになれなかった。でも歳のせいなのか、今では肉料理よりも魚料理の方が好きになってしまったのだけど。さて、インドのカレーについて。

私が初めて食べたインドのカレーはコルカタの中級のレストランだった。でも外国人は入っていないようなレストランだったと思う。インド人が普通に食べるカレーはどんなんだろうと思って入ってみた。まず意外だったのが店の中がハッキリ二つに区切られていた事だ。ベジ(野菜のみ)かノンベジ(肉を含む)かの違いだったのだけど、その時の私にはなぜ二つに分かれているのかがわからなかった。困っていると、その店の男性(女性はいない。その当時のインドでは働く女性はいなかった)スタッフが席に案内してくれて、メニューを持ってきてくれたのだけど、インド料理のメニューなんて見てもさっぱりわからない。ガイドブックを読んで知っていたのはインドの定食のターリーだけだったので、それを注文してみた。皿の上にいろんな種類のカレーと漬物とチャパティ(北インドでよく食べられている焼いた薄いパン)が乗っている。その中の一つのカレーを舐めてみると、これがいけなかった。香辛料が強烈で、臭いが独特だ。これは食べものの臭いではないと思ってしまった。そこからカレーは一口も食べられず、チャパティを漬物で食べたのだけど、その漬物も独特で酸味が強すぎた。結局食う事ができたのはチャパティだけで、あとはすっかり残してしまった。それから1カ月は外国人用のレストランに行っていて、インドのカレーにもう一度チャレンジしようという気は起きなかった。でも、インドでカレーを食えなくては生きていけないと思って他のレストランにも行ったのだけど、やっぱり食えない。あの臭いをどうしても受け入れられなかった。

私は朝が苦手なので普通朝飯は食わない。でもその日はたまたま朝早く目が覚めてしまったので散歩に出てみた。朝早く歩くコルカタの古い町は新鮮だった。道端で寝ているものもらいのお母さんと赤ちゃんがいる。ボロボロの服を着た、というか身にまとったお爺さんもそこに寝ている。これから仕事に出掛ける人達も多く歩いていて、これから生贄にされる仔羊もそこに繋がれている。そんなところにちいさな屋台があって人だかりがしていた。私はインドの小さな屋台には警戒心を持っていたので一度も入ったことがなかったのだけど、とても腹がすいていたし、こんな多くの人が食べてるなら一度くらいは食ってみようと思って入ってみた。インドの朝食の定番のプーリー(揚げパン)とサブジー(野菜カレー)だったのだけど、これがメチャクチャ美味かった。安い屋台の朝食なので香辛料はあまり使っていないのが良かったのだろう。それから毎朝そこに通ってそれを食い、次第に体をインドの食いものに慣らしていった。インド人とも親しくなって、インド人の良さを初めて知ったのもそこだった。その後ダルというあまり香辛料を使わない豆のカレーも知ることができて、しかも身体がようやく本場のカレーの香辛料にも慣れてきたので、それからはインドで食べものに困るということはなくなった。ダルとプーリー・サブジーは今でもよく食べる。



これはインドのカレーじゃないけど、カンボジアの仏教遺跡に行った時に近くの小屋の食堂で食べたカレーだ。言葉が通じないので(東南アジア諸国ではホテル以外では英国は通じない)何か食いたいと身振りで伝えると、こんなに出て来てしまった。もういらない、と伝えなければ、もっと出て来てしまっただろう。観光地では時々こんな事もある。あんまり多過ぎて半分くらいしか食えなかった。もちろんぜんぶの料理の代金を取られてしまった。


タイ

タイに限らず、東南アジア諸国では香草をよく使う。パクチーが有名だけど、私がまったく知らない香草もたくさんある。そして唐辛子🌶もよく使う。暑いので、刺激物がないと食欲が進まない。しかしやはり最初は少し抵抗があった。でもインドの香辛料ほどではないのですぐに慣れくてしまい、慣れてしまうと料理の中に香草の少ないのがかえって物足りない。タイで料理を注文するとテーブルの上に食べきれないくらいの香草を山のように出してくれる。タイ人はその葉をちぎって料理に山盛りにして食べるのだけど、私には知らない香草を生で食うのは刺激が強すぎた。私は若い葉だけを少し摘んで料理に入れて食べていたのだけど、とても爽やかでタイの気候には欠かせないものだと思う。

でも注意しなくてはいけないのは唐辛子だ。タイのレストランのテーブルの上には薬味が多く乗っている。その中に、油漬けの小さな青い実が入ったガラスの瓶があった。唐辛子のまだ若い実なのだろうと思って試しに一粒だけ食べてみると、そんなに辛くはない。これなら行けると思って大きなスプーンに山盛り乗せてご飯と一緒に食べたのだけど、やはりこれがいけなかった。最初はなんともない。むしろ美味い。でも3分か5分後、それは来る。辛いなんてレベルじゃない。口の中が焼かれたように熱くなり、その後痛くなる。ヤケドと同じだ。水を口に含んでいないととても耐えられない。その水も温くなってしまうとまた痛さが来る。そういう事を何度も繰り返しているうちに、額と脇の下に冷や汗が出てきて、体が小刻みに震えてきてしまった。これはもういけない。大量に水を買い込んですぐホテルに帰って休んだのだけど、回復するには半日かかってしまった。みなさん、東南アジアの青い唐辛子にはくれぐれも気をつけてください。


ラオス

私が思うに、東南アジアからインドにかけて一番おいしいのはチベット料理とラオス料理だ。チベット料理が美味しいのは10年前にインドに来た時に知ってたけど、ラオス料理もこんなに美味いとは知らなかった。特にご飯が美味い。東南アジアやインドでよく食べられている米は長粒種と言って細長くてパサパサしているので、それに慣れない初心者の日本人には美味いとは思えない(私はもう一年くらいいるのですっかり慣れてしまったけど)。でもラオスで食べられている米はもち米なのでとても美味しい。都会には外国人向けのレストランもあるのでおかずも美味しい。

でも田舎に行った時、食えるところが一つしかなかった。英語のメニューはないし言葉も通じないので、身振り手振りでどんな食いものがあるのか尋ねると、厨房に連れて行ってくれて、この中から選べと言う。大きな寸胴鍋が三つ並んでいて、煮込み料理のようだ。スープの色が濃くて中身はわからないけどとてもいい匂いがする。私は肉じゃがや豚汁のような煮込み料理が好きなので、なんでもいいと思って、若いお姉さんの勧めてくれた一番左の鍋を頼んだ。でも来たそのスープを掬って中を見ると、それは鶏の足だった。足しか入っていない。三本指の鶏の足の形がそのままそこにあり、それが大量に入っている。どうしよう。お姉さんを見るとまるで天使のようににっこり微笑んでいる。とても美味しいのですよ、いう表情で。仕方ない、これは食うしかない。食えなけりゃ残すしかない。でも食ってみると、これがとても美味かった。たぶんこれがコラーゲンというやつなのだと思う。トロっとしていて骨までしゃぶり、スープもぜんぶ飲んでしまった。


ベトナム

ベトナム料理については前にも書いた事がある。とても美味くて安い。特にフルーツと、どの町にもある喫茶店のコーヒーが美味い。

でも一番印象に残っているのはカンボジア国境の河沿いの小さな町だ。カンボジアビザの関係で、二週間その町に滞在しなければいけなくなってしまったのだけど、そこで見た市場が凄かった。そこは国境の町なので西洋人の旅行者や地元の中国人、となりの村のアラビア人もいて、ありとあらゆる食材が揃っている。写真に撮っておかなかったのが残念だけど、いつも人がごった返していてとても写真を撮れるような状況じゃなかった。そこには燕の巣や干し鮑なんていう高級食材から、牛・豚・羊・鶏の生肉、メコンで獲れる見た事もない生きたままの魚・貝・小さなイカ、色とりどりのフルーツと香辛料と香草。それが段をなして山のように並んでいる。



この写真はそこの市場じゃないけど、ここを30倍にしたような雰囲気だ。そしてベトナム人はチベット人のように人がいい。いつも笑顔で接客してくれるのですぐに親しくなれる。でも食材を買ってもホテルでは料理できないので(余計なことだけど、私は料理が好きで得意だ。これは私が食べものにこだわらいという事と矛盾するかもしれない。でも私は自分が作った料理を人に食べてもらうことが好きなのだ)、私がそこで買っていたのはフルーツだけだった。ぶどう・パイナップル・オレンジみんな美味しい。その中でも格別だったのがドリアンだ(これは前にも書いたっけ? ドリアンは南国の夜の匂いがする)。



その市場の中の中国料理屋で毎日お粥を食い、その後市場の隅にある雑貨店の店先に座って冷えたビールを飲んでいた(ちなみにインドには安い冷えたビールがないので懐かしい)。東南アジア諸国の雑貨店の店先には大抵イスが置いてあって、そこで買った物を飲み食いできる。ビールを飲む時間が一番長いので、そこの店のオバさんとはすぐに親しくなった。姉妹で経営しているらしい。よく刺繍をしながら店番をしている。言葉はまったく通じないけど、毎日そんな事をしていると、なんとなくお互いのことがわかってきて信頼できるようになる。私の荷物をそのイスに置いたままチョット買い物に行ったり、腹が空いたらそのへんの屋台でオヤツを食ったり、何の心配もなくできるようになった。オバさんがトイレに行く時には店番を頼まれたりもする。金が入っている戸棚がすぐそこにあるというのに。

私が河を渡ってカンボジアに行く時には、帰りにはまたここに来てね、と言っていた。言葉はわからないけれど、そう言っていたのは間違いない。

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