奥の細道を求めて

仏を求める旅

二本の映画

リアルタイムで映画館で観たのはこっちだけ。アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』。たぶん映画館だけでも四、五回は観たと思う。



ビデオショップでレンタルして観た、サタジット・レイの『パサー・パンチャーリ』。その後インドに行った時、レイの作品は手当たりしだいに買ったけど。



『ノスタルジア』はカンヌ映画祭でグランプリを取った作品なので、ご存知のかたも多いでしょう。でも二本ともあまりメジャーな作品ではないのでご紹介したいと思います。


タルコフスキーはロシアの映画監督でイタリアに亡命し、『ノスタルジア』はそこで最初に撮った映画です。その時にはまだソビエト連邦と言う国でした。ソビエトは社会主義国家なので芸術映画を撮るタルコフスキーに、大衆のための娯楽映画を作るよう要求します。その結果生まれたのが比較的有名な『惑星ソラリス』というSF映画なのですが、そのラストシーンを巡って原作者のスタニスワフ・レムと大喧嘩になってしまいました。私にはそんな大喧嘩になるような理由がサッパリわからないのですが、偉大な二人の芸術家にはどうしても妥協できない点があったのでしょうね。そんなこんなのトラブルのあげく、タルコフスキーは妻と子をロシアに残したままイタリアに亡命してしまいます。家族よりも仕事を優先してしまったのですね。でもそれで仕事にだけ専念できるわけがなく、残してきた家族や帰れない故郷を思って悩みます。その結果、撮ったのがこの『ノスタルジア』という傑作です。当時すでにタルコフスキーは世界的に有名な監督だったので、イタリア政府も援助を惜しみませんでした。ソビエトに対抗しようという思惑もあったのでしょう。撮影時にはタルコフスキーはまだ亡命を表明していなかったので、この映画はイタリアとソビエトの合作映画として公開されました。あの映画には一体幾らくらいのお金をかけたのか想像もできません。背景の巨大遺跡以外はすべてこの映画のためだけに土木工事をして作られたセットです。しかもその遺跡は本物なので、歴史遺産の中に映画セットを組んでしまったというとんでもないものです。雪だけは本物ではありませんが、タルコフスキーはできることなら本物の雪を降らせたかったでしょう。

もちろんそれだけの費用をあの難解な芸術映画で回収できるわけもないのですが、でもそのお陰であんな傑作が生まれたのだから、私には幸運でした。映画の内容は難解なので何も言いません。皆さんがご自身で観て、判断してください。


サタジット・レイはインドのモノクロ映画時代の監督ですが、今のボリウッド映画の隆盛の礎になった偉大な監督です。その処女作が『パサー・パンチャーリ』三部作の第一作です。日本では『大地の歌』という題名で上映されました。もう50年以上も前のことです。当時の日本でインド映画が上映されるなんて、とても信じられないような出来事ですが、それだけの傑作だったのです。私は当時まだ小学生だったのでもちろん観てないのですが、私のサンスクリット語の先生が高校生の時に映画館で観たと仰っていました。高校生の頃に体験したことはその後の人生を決定してしまうくらいの影響力を持ちます。そのせいで(?)先生はインド学の研究者になりました。そしてそのお陰で私も今、曲がりなりにもサンスクリット語を読めているので、当時の映画配給会社に感謝しなくてはいけません。この映画のストーリーは難解ではないので、内容をご紹介します。

時代は田舎にもやっと電気が引かれ始め、列車も通るようになった頃のインドで、場所はバラモン達が多く住む田舎の小さな村です。主人公はアプーという名前の9歳くらいの男の子で、14歳くらいのお姉ちゃんがいます。アプーは内気ですがお姉ちゃんの方はイタズラ好きでヤンチャです。二人とも優しいのは同じだけど、アプーは誰にでも優しいのにお姉ちゃんは自分の好きな人にしか優しくありません。ある日、二人はお母さんには内緒に、二人だけで小さな冒険の旅をして広い原っぱの中を走る列車を見に行きます。初めて行く場所で初めてこれから列車を見るのだから、途中で見るもの聞くものが全部新鮮です。風に揺れる美しい薄野原、蓮の池とそこに止まる小さなトンボ、大きな柱の上で風に唸る細い電線。その映像がとてもうつくしくみずみずしく描かれます。季節はこれから雨季が始まる頃。列車を見たその帰り道、突然のスコールに降られてアプーはお母さんの言いつけ通り大きな木の陰に隠れますが、お姉ちゃんは嬉しくなって豪雨の中でずぶ濡れになりながら飛び跳ねて踊ります。雨季前のインドは耐えられないくらい熱いので、体験した私もその気持ちはわかります。でもそれを見るアプーの不安そうな視線がとても印象的で、その夜から始まった嵐の中で身体を冷やしてしまったお姉ちゃんはお母さんの必死の看病の甲斐もなく、亡くなってしまいます。嵐で家も財産も大事な子も失ってしまった両親はその村を去ります。その残骸になった家の跡に、一匹のヘビが這うシーンでこの映画は終わります。

あるインド人の女性はこの映画は悲しいのであまり好きじゃないと言っていましたが、私はこの映画は悲劇ではないと思っています。このシリーズの二作目で青年になったアプーは、ひょんなことで友達の妹と結婚する羽目になってしまうのですが、その相手がこのお姉ちゃんの生まれ変わりだったと、私は思っています。

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