奥の細道を求めて

仏を求める旅

ジャコ・パストリアス

ジャコは有名なジャズベーシストなのでご存知の方も多いだろう。超絶的なテクニックの持ち主で音楽的なアイデアも豊富だった。次代のジャズシーンをリードする存在だと思っていたのに、1987年9月21日、酒場の用心棒に殴り殺されてしまった。ある意味では自殺だったのかもしれないと私は思う。なぜなのだろう。なぜ才能に溢れたまだ若いジャコは死ななければいけなかったのだろう。過去の同じような天才であるチャーリー・パーカーの生き方をなぞってしまったのだろうか。2人の共通点はたくさんあるのだけれど、私が一番大きいと思うのは2人とも人間としてとてもチャーミングだったことだ。おそらく母親にたくさん愛されたのだろう。不幸なのは、2人とも天才だったことで、天才と呼ばれるような人達で幸せだった人を私は知らない。


この写真はまだ若い。とってもチャーミングでしょう? まだ悪魔に魂を売る前だ。

私はジャコのコンサートに一度だけ行った事がある。死の直前、1987年夏の屋外コンサートで、場所は読売ランドだったと記憶している。ギル・エヴァンスオーケストラのベーシストとしてフューチャーされて来日していた。でも、そのステージは最低だった。優しいギルがなんとかジャコを立ち直らせようとして、収入の多い日本ツアーにせっかく誘ってくれたのに、ジャコは数フレーズを弾いただけでそのベースをステージに叩きつけ(正確には高く放り投げ)、デビュー前に教えを受けた先生でもあるギルを無視して勝手に帰ってしまった。その頃の記録を読むと、この時のジャコはもうすでに昔から馴染んでいたヘロインにすっかり溺れていて、見るに耐えられない状態だったらしい。夜は酒と麻薬を求めてニューヨークの裏町をうろつき回り、昼には疲れ果てて近くのバスケットコートの片隅で愛用のベースを抱いて寝ていたと、多くの知人が証言している。音楽関係者の間でも、もうジャコには近づくな、と有名になっていたらしい。話し掛けて来る人間には誰彼構わず喧嘩を吹っ掛けて、どんな大人数に殴られても決して止めなかったらしい。なぜ、そんなことになってしまったのだろうか。

その直接の答えは女だ。男が失敗する原因の多くが女にある。ジャコの妻は勝ち気な性格で決して男には負けないという自信があり、いつもジャコと殴り合いになるくらいまでの喧嘩が絶えなかった。でも、悲劇的なのは二人とも運命的に愛し合っていて、別れることができなかったことだ。妻もおそらくジャンキーだったのだろう。さらに、そこに男の子と女の子の双子が生まれてしまうという、なんとも遣る瀬ない事件が起きてしまった。

この状況はプリンスの子ども時代と似ている。プリンスの父親は飲んだくれの売れないジャズミュージシャンで、母親との喧嘩が毎日絶えなかった。殺し合いになって警察が間に入る事もあったらしい。そんな時、プリンスはまだ幼い妹を抱き締めて、自分と妹の目と耳と口を塞ぎ、ただ震えながら声を出さずに泣いていた。

ジャコも根が優しいので、子ども達のためにそんな光景は見せたくなかったのだろう。なので家を出てしまう。想像するしかないけれど、その時のジャコの心境はまるで誰もいない広い海の真ん中で巨大な渦に巻き込まれてしまったようだったんじゃないだろうか。渦の中心の、上も下もわからない混乱の中では、自分が本当にしたい音楽の創造活動なんてできるわけがない。でも仕方なく出てしまったので、愛する可愛い子ども達との絆も切れてしまった。ここもまたプリンスと似ている。プリンスは生まれたばかりの自分の子どもを病気で死なせてしまい、それが原因で妻とも別れてしまったのだろうと私は思っている。

バードという愛称だったチャーリー・パーカーは35歳で死に、ジャコ(これも小さい頃に両親が呼んでいた愛称だ)は36歳で死んでしまった。二人とも、無邪気な小鳥のように生き急いでしまったのだろうか。

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