奥の細道を求めて

仏を求める旅

何時何処で死ぬ、か

西行は「願くは花の下にて春死なんその如月の望月の頃」と詠じ、芭蕉は「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」と詠んだ。西行は、死ぬ時には自分もお釈迦様と同じように(2月15日はお釈迦様の命日なので)と思い、芭蕉は地獄の光景を夢に見たのかも知れない。二人とも永遠の旅人なので、何時何処で死んでも良いという覚悟はしていただろう。

ではさて、私は何時何処で死ぬのだろう。もう充分生きたので、何時死んでも良いのだけど、でもまだ遣り残していることがある。仏様にお会いすることだ。会える可能性が一番高いのは何処だろう。槍ヶ岳の雪の陰、深い海の谷の底、宇宙に無数ある星雲の中の惑星のどこか。あるいは西方浄土まで行かなくてはいけないのかもしれない。もし時間が遡れるものなら、2500年前のサールナートに行くんだけど、な。そこなら場所も分かっているし。

でも、いずれにしろ、今生でお会いするのは難しそうだ。私が今できるのは、それを求める過程を続けることだけなんだろうな、たぶん。

でもさて、私は何処で終わりを迎えるべきなのだろうか。何処を目的地にして、何処で死んだら来世にお会いできる可能性が一番高いのだろうか。クシナガラ、ルンビニー、ブッダガヤだろうか。なんとなく、そうではないような気がする。何処で死んでも同じような気がする。山頭火のように、ただ、歩き続けるしかないのだろうと思う。

それならば、まだ行ってみたい国もたくさんある。ネパール、ブータン、スリランカ、千一夜物語の夢の国々や美女が多いと聞くトルコ、詩人ランボーが旅したアフリカの国々、等。でも後、数年はチベット仏教の勉強の為にここにとどまる必要がある。でもインドビザがね。半年しか続けて居られないので、一度外国に出る必要がある。今の計画では、最初はネパールに入ってルンビニーを訪れ、2度目は近くのパキスタンに行こうかなと思っている。でも何度もインドを出たり入ったりするのは果たして可能なのだろうか。入る国によっても、インドでの滞在期間や入国条件がその時の世界の状況によってコロコロと変わるらしい。でもまあともかく、その時はその時になってから考えよう。行き当たりバッタリで構わない。私はいつでもそうして来たのだから。


でも今、大変なのはコロナだ。新型コロナウィルスが流行っている国の日本人というだけで、入国を拒否されてしまう国もたくさんある。ネパールも今そうらしい。タイやミャンマーなら入れるらしいけど、ダラムシャラからは少し遠いのが問題だ。近くのパキスタンはどうだろう、まだ調べてないけど。でもインドとパキスタンは仲が悪いので、インドビザをパキスタンで取るのは面倒そうだ。はてさて、どうなることやらわからない。


夢は遠く 遠く枯野を駆け巡る

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