奥の細道を求めて

仏を求める旅

インド、インパール

タムーの町から国境に向かう。バイクタクシーで10分もかからない。そのミャンマー側の国境。橋を渡ればインドだ。

インド側のイミグレは突き当りを左に曲がった丘の上にある。歩くのは少し辛いなと思っていると、うまい具合に右手からミニバンがやって来た。左にはイミグレしかないのだから、インドからミャンマーに行く客を乗せて来たのだ。一緒に乗せてもらう。

建物が新しい。この国境は開通してからまだ間がないらしい。旅行者は私たちの他には誰もいない。閑散とした中で役人ばかりが手持ち無沙汰にしている。入国カードもその役人が記入してくれて、手続きはすぐに済んでしまった。外に出て陽に当たっていると渡って来た橋が見える。かなり遠い。

それにしても誰もいない。乗せて来てくれた車も見えない。只で乗せてくれたはずはないのだし、歩いてモレーの村まで行く気にはとてもなれないので待っていると、やがてその運転手がやってきた。車は裏の駐車場に置いてあり、客が5人集まったら出発すると言う。ところが、待てど暮らせど誰も来やしない。やっと私の他に2人集まったところで車を出した。諦めてこのまま行くのかと思ったら、一度モレーの村に行って荷物を積んで、またイミグレに戻って客を探したが、やはり誰もいない。それからまたモレーに戻って遅めの昼めしを食っていると、3人客が向こうから声をかけてきた。インパールに行く車だとわかるらしい。定員オーバーだけどそんなことは誰も、警官でさえも気にゃしない。それが午後3時頃。私がタムーを出たのが9時だったから、ここまでで6時間かかっている。私はもうモレーの、看板だけHOTELと出ているがどう見ても普通の平屋の板張りの民家のようなところでもいいから泊まってしまおうかな、と思ったけど、その勇気もいまいちなかったので、そのまま車で行くことにした。

モレーからはまた山越えになる。山道はところどころで工事中だった。国境の開通に合わせて整備しているのだろう。道が良くなればあのイミグレも忙しくなるだろうか。今回は3時間くらいで山を越えて平地に出た。途中ここがインパールだろうかと思えるような町をいくつか通り過ぎて、着いたのが午後7時。ずいぶん早かったなと思ったが、インドは時差が1時間あることに後で気が着いた。ホテルは予約しておかなかったので運転手の助手が調べてくれたが、安くていいホテルはどこも満室だった。シーズンオフだけど、いいところは満室になるらしい。お湯が出なくてもいいなら安いところがあると言われたが、お湯は私にとって絶対条件だった。インパールの夜は冬のように寒い。早く熱いシャワーを浴びてゆっくり横になりたかったので、あらかじめbooking.comで調べておいたホテルに行ってもらうことにした。そこなら確実に空部屋があるしお湯も出ることは確認してある。私の予算からするとかなり高いのだけど、この際仕方ない。助手はもっと安いところを探してくれていたのだが、あそこならお湯も出るしなんでも揃っているよ、と言ってくれた。実は、私はインドの運転手に偏見を持っている。10年前インドに来た時に、運転手とは何度も大声で怒鳴り合いの喧嘩をした。平気で嘘をつく、ふっかける、変なところに連れて行く、酒とマリファナの二オイをさせている。でもここはインドの辺境なので、スレていないのかもしれない。礼を言ってホテル前で別れた。ロビーに色んな服を着たスタッフが何人も立っているようなホテルは初めてだ。

インパールの街並み。州都だけあってなかなかな都会だ。走っているのはオートリクシャーという乗り物でインドでは庶民の足。元々は日本の人力車が入って来て始まったものらしい。10年前は昔ながらの車夫が梶棒を掴んで走る人力車はコルカタにしか残っていなかった。みんなお爺さんだったので、今はもういないかもしれない。でもお爺さんが道端で梶棒に腰掛け、客待ちしながらリンを振っていた姿はよく憶えている。

インドと言えばこれ、ゴミの山。浄、不浄についてとても神経質なインド人がなぜこんなにしてしまって平気なのだろうか。自分の周りだけキレイならいいのだろうか。そうかもしれない、不浄なものは一まとめにしておいて触らなければいいのだから。

明日はコヒマに向かう。

×

非ログインユーザーとして返信する