ビルマの旅程の最後の町、タムー
最近は夜が寒くなった。ダウンジャケットを着ている人もいるくらいだ。
前回の記事でムレーに行くと書いたけど、それはインド側の村で、ミャンマー側の町はタムーという。
バガンからバスに乗ったのが昼の11時半で、インド国境沿いの町タムーに着いたのが翌日の朝9時。21時間半バスに乗っていた。 夜行バスには二度と乗らないと決めていたのに、それしかなかったのだから仕方ない。しかもモンユワから乗ったバスがオンボロの年季の入ったミニバンで、屋根の上にまで荷物を山のように積み上げ、車内にも段ボールの箱が溢れる中に定員の8人が押し込められた。
途中に深く険しい山がある。今では舗装された道路を車で走ってもそこを超えるには7時間かかる。山の中で2度もパンクし、運転手は夜中だというのに大きな音で音楽を流し、前の席に座っていたオバさんは寒いのに窓を全開にして、隣のオヤジは眠って私の体の上に足を投げ出している。夜中の2時に検問で起こされ、パスポートをチェックさせられた。こっちも多少頭にきて、強い語調で「俺は日本人でインパールに行くのだ」と言うと、それまで横柄な態度だった役人は済まなそうな顔をして通してくれた。歴史を知っているのだろう。
峠の頂上で休憩した。大きな焚き火が燃えている。そこにみんな集まって冷えた体を温めている。夜空の上には十六日の月がかかっていた。
月の野の焚き火を背に小便をする
死んで逝った兵士達の万分の一でも体験できただろうか。
私は浄土宗の信徒ではないけれど、こんな時には長いお経を唱えるよりも、南無阿弥陀仏の一言だけを唱えた方がふさわしい気がする。