奥の細道を求めて

仏を求める旅

泉鏡花

長いこと日本語を使っていないと、日本語が恋しくなる。なので私は今ネットで買って泉鏡花の小説を読んでいる。知らない人も多いと思うけど、私が一番好きな小説家だ。明治の終わりから昭和の初め頃までに活躍した。最も有名なのは戯曲の『湯島の境内』のセリフで、好き合った者同士が別れなければならない場面。

「別れる切れるは芸者の時に言う言葉。今の私にゃいっそ死ねと言って、蔦にゃ枯れろとおっしゃいましな。」

このセリフは聞いた人もいるだろう。女主人公の名前がお蔦という。これは鏡花の実体験で、惚れた女が芸者だった。でも芸者を身請けするには金がかかる。そこで師匠の尾崎紅葉に相談したが、紅葉は当時の大小説家で、「卑しくも俺の弟子であるお前が芸者風情と結婚することは許さん」と言って無理に別れさせた。でも鏡花は思い切れない。師匠が亡くなり、鏡花の名前が売れ出してから身請けして妻にした。その妻が後年述懐している。

「ほんとに小説家というものは因業なもので、あんな昔の話を持ち出して、私は身を切られるような思いでございます」

鏡花は妻が新聞を踏んだだけで怒鳴りつけたらしい。鏡花にとって言葉は神聖なものなので、それをないがしろにすることは決して許さなかった。

鏡花は長編の戯曲が有名だけど、私が好きなのは小品の怪談ものだ。中でも一番好きなのが『薬草取り』という短編。5歳の男の子がお母さんの病気を治すために奥深い山に入って薬草を探す。こんな山奥には誰もいないのだけど、不思議なことに花売りの娘が花を摘むために入っていた。その娘と一緒に薬草があるという山頂を目指す。その山頂に着くと、そこは四季の花々が咲き乱れるなんとも美しい野原だった。うっとりしていると、その娘が目的の薬草を摘んで来てくれた。この薬草はめったに見つかるものではない。

「これを持ってお帰りなさい。お母様のご病気はきっと治るでしょう。」

と言って姿を消してしまった。子どもはわけがわからず、薬師如来様のお姿だったのだろうと思い急いで山を降りてお母さんのもとに戻った。家では子どもがいなくなったと言って大騒ぎだ。やれ天狗にさらわれたのだの、神隠しにあったのだろうなど、そこへいきなり一人で戻ったのだからみんなびっくりしてしまった。狐につままれたのかもしれない、まだ狐がついているかもしれない、と言って坊主を呼ぶやら祈祷師にお祓いしてもらうやら。でもその子はそんなことはしていられない。一刻も早くお母さんの枕元にその花を届けなければならない。みんなが大騒ぎしている中をこっそり抜け出してお母さんの部屋に入る。

「お母さん、これはね、薬師如来様がくださったありがたい薬草です。」

と言ってその枕元にその花を置くと、すぐに病気は治り、その子が成人するまで生き延びた。

鏡花は明治期の人なので少し読みにくい。でもその日本語はとても美しい。どうか皆さん読んでいただきたい。

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