奥の細道を求めて

仏を求める旅

焼身自殺をしたお坊様について

ネットの情報によれば、尊師のお名前はティック・クアン・ドック、諱は釋廣德、66歳。1963年6月11日、あらかじめマスコミに通知した上でサイゴンのアメリカ大使館前で支援者に見守られながらの決行でした。なのでその模様はテレビでも放映されたようです。当時の南ベトナム政府の仏教弾圧に対する抗議だったとありますが、私はやはりアメリカ大使館前で実行した事から考えてアメリカ軍のベトナム戦争への参戦に対する抗議だったと思っています。

ベトナム戦争はゲリラ戦でした。兵士と民間人の区別ができません。‘疑わしくは殺せ’というのがアメリカ軍の方針でした。そうしなければ自分が殺されてしまうのですから。女、子供も例外ではありません。

印象に残っている写真がもう一枚あります。明らかに記念写真で、飛行場で爆撃機を背景に若いアメリカ兵、たぶん18才くらい、が笑顔で手に何か袋のようなものを持ちながら写っています。でもその笑顔は表面だけで、袋のようなものをよく見るとそれは手足のない男の子の死体です。ベトナム戦争ではアメリカの若い兵士の神経障害者がたくさん出ました。無理もない、とても平常心では続けられません。ここまできたらもう主義主張は関係ない、なんとしてでもこんな戦争は止めなければならないという尊師の慈悲心からの行動だったのだろうと思います。特にフエは激戦区でした。フエからサイゴンまでは今でも車でまる一日かかります。当時は何日かかったのでしょうか。

その車中での尊師のお気持ちを想像してみたいのですが、今の私にはとても想像できません。

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