奥の細道を求めて

仏を求める旅

私が初めてインドに来た時のこと #6

クシナガラを出て、三蔵法師も修行したナーランダの仏教大学に来た。遺跡しか残っていないけど、その広大なのは想像以上だった。門の近くには崩れかけた高い仏塔があり、危険なので警官が誰も入らないように入り口で警備している。賄賂を渡して中に入ると、私がインドで見た中で最も荘厳な仏教遺跡だった。今にも崩れそうな高い塔はてっぺんまで吹き抜けで、当時の土木技術の忰を集めて造られたのだろう。そうでなければ今でも形を保っていられる筈がない。警官に礼を言って外に出て、広いナーランダを散策した。広い教室の跡や修行していた僧の狭い宿坊もある。一畳分くらいの広さしかないのだけど、三蔵法師もここで寝て修行していたのだろう。


ナーランダは交通の便が悪いので、ここを訪れるのはバスの団体客がほとんどだ。昼頃に来て三時頃には帰ってしまう。一度来たきりで戻らない。ホントの田舎なのでナーランダには農家とこの遺跡で金を稼ぐ人しかいない。私は最初一軒のチャイ屋に入った。当時チャイは3ルピーから高くても5ルピーだったので、何の警戒も無く飲んだのだけど、請求された金額は50ルピーだった。もちろん文句を言ったけど飲んだ後では取り合ってくれない。そこから別のチャイ屋を探したけど、そこで聞くと30だと言う。

「高すぎるのはお前だって知ってるだろ」

「ならいくらなら良いんだ」

「3ルピーだ」

「そんな安い値段じゃとてもじゃないけど売れない」

「んっ、じゃいらない」

と言って別の店を探したのだけど見つからない。諦めて帰る途中にその店の親父が手招きをして呼ぶ。

「3ルピーで良いや、飲んでけよ」

「ありがとう」

というわけでそれから一週間午前と午後の二回そこでチャイを飲んだ。毎日会っていれば自然と親しくなる。同じ値段で飲んでいるインド人とも知り合いになる。親父はカタコトだけど英語が話せるので、私が次の町に旅立つ時には「インド人には気をつけろ、騙されるなよ」と教えてくれた。「お前がそれだったろ」とツッコミたかったけど、そこは大人なので「ありがとう」と言って別れた。そこからブッダガヤーまでは100Kmだったので、私は一日で帰ることができた。

私が初めてインドに来た時のこと #5

入滅の地であるクシナガラに着いた。お釈迦様が入滅されたのは80歳の時で、おそらく故郷への旅の途中だったのだろうと言われている。救えなかったシャカ族を弔うために最後の旅をしたのだろう。二本の沙羅の木の下で、右脇を下にして入滅された。


死因は下痢による脱水だった。その少し前に信者に饗応された何かしら(一説には茸とも豚肉とも)の食べ物に当たってしまったらしい。お亡くなりになる直前に、布施してくれた彼にはこのことを伝えてはいけない、と遺言した。その信者が罪を感じてはいけないという心遣いだろう。インド思想家の中で、自分が死ぬ刹那にも相手のことを思いやるという優しさはお釈迦様独自のものだ。その時、弟子の一人が

「釈尊には何か覚りに至る秘法があるのではないですか、最後にどうか教えてください」とお願いした。

「私が教えられることはすべて伝えた、秘法なんてものは何も無い。私の教えを参考にしてそれを自分で考えなさい」

というのがお釈迦様の最期のお言葉だった。これが有名な『法灯明自灯明』という教えだ。なので大乗仏教では教えをただ盲信するのではなく、自分で確かめなくてはいけない。そのための方法論が瞑想で、瞑想は物理学における思考実験のようなものだろうと私は思っている。チベット仏教ゲルク派ではこのような論理的な瞑想が主流らしい。それと対極にあるのがニンマ派の瞑想で、中国禅の影響からだと思うけど「完全な無」を瞑想の対象にする。ゲルクからすればニンマは何も勉強しない、ニンマからすればゲルクは本ばっかり読んで実践をしない、と言っている。私は禅から仏教に入ったのでニンマ派の言い分に親近感があるのだけど、禅の瞑想の指導の仕方はとても不親切だ。基本的なこと(縁起)を教えただけで、本質(空)には何も触れずほったらかしにしてただ追い詰め、そうじゃない、と言うだけだ。あくまでも空は自分で掴まなくちゃならない、ということなのだろう。

ライブラリーの新学期

ダラムサラはまだ寒い日もあるけど、3月5日から新学期が始まった。


このお坊様はニンマ派の方らしい。一方英語の通訳の方はゲルク派だ。テキストもニンマ派のものなので通訳の方はあまりスムーズには進まない。その辺もニンマ派とゲルク派の違いが判るようでおもしろい。


この先生は去年チベット語文法を教えてもらっていた方で、教え方が上手い。今回のテキストは


で、3年目にしてようやくチベット仏教に入ることができた。この本を読んだ人たちは皆、チベット仏教を学ぶならこの本は必ず読んでおいたほうが良い、と言っていた。まだ2ページしか読んでないけど、とても良い本だというのは私も確信できる。今年も期待が膨らむ。