奥の細道を求めて

仏を求める旅

母語について

母語とは何なのだろう。

外国を旅していて一番辛いのは日本語で話すことができないないことで、そんな時たまたま日本人に会うと会話が苦手な私でもつい嬉しくなって話し込んでしまう。そのように日本人は当たり前に日本語が母語だけど、世界には母語を持たない人々もたくさんいる。他国に征服されてしまった人たちだ。例えばヨーロッパのジプシーやインドで生まれたチベット人二世で、インドで生まれたチベット人は生まれた時からチベット語とヒンディー語と英語を聴いているからトリリンガルなのだけど、はたしてそれは良いことなのだろうか。


日本では多国語を話せる人が尊敬されているけど、それは日本が一度も侵略されたことがなくて、侵略した国の言葉を強要されたことがない(これは世界中の国々をみても極めて例外的なことだ)からだ。でも大陸の多くの国々ではそうでない。弱少国は何度も幾多の大国の侵略を受けているので、その度にその国の言葉を強要されるから多国語を話せなければ生きていけない。そしてそれはイギリスやフランスのような大国でも例外ではなく、多国語を話せるということは屈辱的な事であり必ずしも尊敬されることではない(日本語も中国語や英語の影響を強く受けているけど、それは日本人が文化の多様性を広げるために主体的に受け入れたもので強制されたものではない)。

因みにヨーロッパで差別を受けているジプシー


(ジプシーは差別用語なので最近では彼らの言葉でロマと呼ばれているらしい)は、元を辿ればBC2000年頃からインドに侵攻したアーリヤ人から北に逃げたインド原住民の末裔のようだ。伝統的に定住せず、旅をしながら日用品の修理やら、演芸やら、女なら売春をして日銭を稼いでいる。そんな生活だから子供は学校にも通わず、旅の途中で必要な各国語(とりあえず彼ら特有の言語であるロマ語はあるらしいけど各グループによって違いが大きいので共通言語とは言えないらしい)を覚え生き延びるための手段を手に入れる。厳しい環境の中では犯罪に手を染める人もいるだろう。そのようにして差別と復讐の悪循環が繰り返される。


チベットは深いヒマラヤ山脈の中にある独立国なので、中国に侵略されるまで歴史上一度も侵略されたことがなかった。日本と同じなのだけど、それが毛沢東の近代兵器による侵略によって蹂躙されてしまったので、今広大なチベット高原の文化が中国の共産主義というテイのいい名の帝国主義によって失われつつある。侵略されてしまったのだから中国がチベットを政治的に支配するのは仕方ないとしても、その文化まで奪ってしまって良いわけはない。中国の(名ばかりの)チベット自治区の子供達の学校では中国語しか教えていないので、やがて子ども達の世代になればチベットでチベット語は失われてしまうかもしれない。

そしてその状況はインドで生まれた亡命チベット人の2世も同じだ。彼らは生まれた時からチベット語とヒンディー語と英語の中で暮らしているから、子どもの頃には三ヶ国語を折り混ぜたピジン語を話している。成長するにつれてそれがクレオール語に進化するのだけど、生まれながらだとしても三ヶ国語を別々に自由に操るのはかなりハードルが高い。誰もがタゴールのようにベンガリー、ヒンディー、イングリッシュを自由に扱えるわけではないし、そのタゴールでさえ著作では母語であるベンガリーしか使わなかった。しかもチベット語とインドヨーロッパ語族とは文法が全く違うので、情報量が多すぎて各言語内の繊細なニュアンスを伝えることができない人達も多いらしい。


そんなロマの人たちやチベット人2世の悲劇とは裏腹に、日本で日本語だけで生活できるということはとても恵まれているのだということを私はダラムサラに来るまで気がつかなかった。母語とは母なので芭蕉のように、それを使って新しいスタイルを生み出せる母胎/枠組のことなのだ。

×

非ログインユーザーとして返信する