空の言語化の試み #9 論理と体験
以前に書いた『経験と記述』と似ている内容だけど、重要な論題なので少し視点を変えてもう一度考えてみたい。

ものごとを探求する際の方法論として、厳密な論理によって分析する方法と曖昧な体験を吟味するというニ通りの方法がある。論理による分析は数学や論理学のように誰にでも適合するような方法論であり、体験を吟味するというのは各個人が体験したものごとを時間の中で検証していくという各人によって異なる方法論である。なので論理は数学的であり体験の吟味は文学的になる。そしてものごとの本質を探求するためにはこの二種類の方法論を同時に進める必要がある。これは縁起を探求する二通りの方法論であり、厳密な論理によって世間を分析し、体験を吟味することによって曖昧な私の煩悩を精査する。「世間」と「私」という縁起のあり方の核をその関係性に焦点を当てて探求するのである。なので論理を使う場合にはできるだけ厳密に進めなくてはいけないし、体験の吟味を使う場合にはできるだけ多くの体験を吟味する必要がある。そしてこれは空と縁起の関係性の探求にも当てはまることで、空は一義的なのに対し縁起は多義的である。空は数学や物理学に親和性があり、縁起は文学に親和性がある。とは言え、現代の量子力学は縁起と表裏の関係にある空の思想に近づいているし、マラルメ以降の詩は空を内包した縁起を記述しようとしている。これは私が試みている「空の言語化」と同じことで、量子力学も現代詩も私の解釈する仏教から見れば空と縁起の統合の試みである。